皆さま、こんにちわ。
ちょっとオマセな小学生だった局長です。
どんなオマセぶりだったのかを、人知れず隠れ記事に綴ろう。 気付いた人だけ読んでほしい。
――― 11月21日(木)、俺は仕事を早引きして水道橋へと向かった。
そこで、“カディ” と落ち合った。
翌日の金曜日は、ご存知の通り徹夜となったのだが、10%くらいはこの夜の出来事が起因しているかもしれない。
でも、これは2ヶ月以上前から決まっていた予定だったのだ。
ポール・マッカートニー。
言わずと知れた元ビートルズのメンバー。
この写真で言えば、向かって左端でタバコを持っている人だ。
「OUT THERE」 と銘打たれたワールドツアーで、実に11年ぶりの来日。
前回の2002年の公演の時はチケットが取れず、カディと会社を休んで昼間から東京ドームに並んで当日券を買ったものだ。
今回は、満を持してカディと二人で抽選に申し込み、見事にゲット。
抜かりはなかった。
ビートルズ。
俺は小学校6年生の時、夕方からテレビ東京で放送されていた 『アニメ・ビートルズ(※)』 に強い衝撃を受け、それ以来、熱狂的なフリークとなった。
すでにビートルズが解散して15年が経っていた。
何より、ジョン・レノンがこの世を去って5年が経過していた。毎月のお小遣いも、当時700円のシングルレコードを一枚買えば一気に飛んでしまう。
それでも買い集めたものだった。※: 恐らく本国イギリスで放映されていたアニメが輸入されてきたもの。 15分番組。
こうして、長年の思いをぶつけるような気持ちで乗り込んだ東京ドーム。
しかし、いちばん高いS席を16,500円も払って購入したというのに、まさかの2階スタンド席。
過去のコンサート観覧歴の中で最も悪い席だ。
S席の下には、あと2種類の席があったはずだが、S席でここということは、それらの席は一体・・・・
とにもかくにも、19:20から始まった公演。
11年ぶりに見るポールは、何も変わっていない、どこから見てもポール・マッカートニーだった。
セットリストは、2002年のワールドツアーからずいぶん入れ替えてあった。
ビートルズナンバーと、ソロ曲もしくはウィングスナンバーを交互に演奏するようなリスト。
11年前からかなり入れ替えたというのに、それでも全てが知っている曲というのは、それだけ多くの名曲を世に残したという以外の何者でもない。
基本的に、ビートルズナンバーは、ポールの代名詞ともいえるヘフナー社のバイオリン型ベースを演奏。
当然、「Let it Be」 などのピアノ曲や、オルガンを演奏する曲もある。
一方、ウィングスナンバーやソロ曲は、アコースティックギターやエレキギター。
バンドメンバーは、ポールの両脇にいるギターとベース(ポールがベースを弾く時はギター)担当の2名と、ドラム、キーボードの4名のみ。
やはり音楽界もデジタル化が進んだということか。
ビートルズの曲は、後期になればなるほど、かなり音の広がりがある。
次々に新たな試みを実践していったこともあり、当時はあの音を再現するには、大掛かりなオーケストラでも引き連れないと無理だった。
それが、今回のツアーでは、大概の音はキーボードが再現でき、それ以外もステージ横に陣取ったエンジニアたちが見事に再現できていた。
時代の移り変わりを感じずにはいられない。
こうして、ポールの日本公演の最終日はどんどん消化されていってしまう。
ポールは一度も休まずに、MCもそこそこに、何より一滴の水分も取らずに歌い続けるのだ。
驚愕以外の何者でもない。
ポールは現在71歳。
前回の公演から、どれだけ衰えてしまっているのかという俺たちの心配を、いい意味で見事に裏切ってくれた。
ステージ上にいるのは、とても71歳とは思えない、細身で背筋の凛とした、髪の毛も薄くない、時にシャウトしたりするほど声量のある、映像で見たビートルズ時代のポールそのもの。
これまで様々なミュージシャンのライブに足を運んできたが、正直どのライブもポールのそれと比べてしまうと 「入門編」 のように見えてしまう。
ポールがビートルズとして人気の絶頂期だったのは、今から約50年前だ。
武道館を初めて音楽のコンサート会場として使用した伝説の日本ツアーも1966年。
会場には、その当時からの往年のファンばかりかと思いきや、実際はその世代の方が少ないくらいだった。
我々くらいの世代から、さらに若い世代まで、非常に幅広かった。
そう、ビートルズが解散した後も、ポールは次から次に新たな世代のファンを取り込みながら、さらに進化しているのだ。
故ジョージ・ハリソンの名曲 「Something」 を歌った時には、後方のスクリーンに在りし日のジョージの映像が流れた。
思わず涙が流れた。
カディも泣いていた。
会場のみんなが泣いていた。
アンコール2回目で 「へルタースケルター」 が始まった時は、会場全体が地鳴りのような狂乱状態だった。
71歳の音楽家が、遠く異国の地で、幅広い年齢層のオーディエンスをここまで熱狂させる。
世界中どこを探しても、そんなミュージシャンが存在するだろうか。
こうして、11年ぶりのポール・マッカートニー来日ツアーは終わった。
ポールがノンストップで歌った曲は、なんと全37曲。
年齢的に、これが最後の来日などと言われているが、この日のポールを見る限り、彼は不死身だ。
きっとまた来てくれる。
「また会いましょう」 と本人も言ってくれた。
俺もカディも、恐らくこの日の東京ドームに集まった人たちも、みんなそう信じている。
ありがとう、ポール。
おかげで翌日の徹夜作業にも耐えられたよ。
俺の魂を11年ぶりに熱く燃え滾らせてくれた71歳のポール・マッカートニー氏に―――
ジョンがまだ生きていたら、世界で
どんな存在になっていたのだろう…
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【今日の一言】
007のタイアップに使われた 「Live And Let Die」 の爆破アトラクションは秀逸だった♪
コメント
激務の日々の中、こんな素敵な何時間か過ごせたこと…本当良かったです☆
私は某アイドルのコンサートしか行ったことありませんが、やっぱり大物のミュージシャンのそれとは全く違うものなんでしょうね(((o(*゚▽゚*)o)))
予定通り先週で激務は終わりましたか⁈お疲れ様でした(*^^*)
すごい、全てがすごい。
いつも読み逃げしちゃっています
『づおづおむう』と申します。
ブログ読み手のこちらが涙しました。
『ビートルズ』・・・この先何百年と
クラッシックの作曲家と並び
永遠に語り継がれていく事でしょうね。
仕事の疲れが少しでもとれた様で何よりです。
まっ、下宿屋をしていたので、早熟だった、オールナイト日本も
亀&あんこ-の時代だった。
なんたって、解散前のビートルズ!
Let it beで、衝撃を受け、小遣いを貯めて、ビートルズらしいアルバムを
大学生に託しました。
買ってきたのが「オールディーズ」とほほ…というぐらいに音楽が違っていた。
今、アマゾンで色々買っています…が、結局一番好きなのは、どっこいしょで
「YMO」に…がははははっ!!!
局長さんはビートルズでしたか\(^-^)/。私は、ポールはポールでもポールスタンレーのKISSでありました。今年の幕張と大阪城ホールどちらも取れなくて泣きましたっ。年をとっても昔行ったアーティストにまた逢うとなぜか自分が10代に戻れるんですよねぇ( ̄▽ ̄;)。楽しいひとときでしたね(^-^)v。
私もビートルズのファンになったのは解散してから。
ウイングスの頃はリアルに知ってます。
今も車で時々聞いてますよ~。
「Something」は好きな曲の一つです。
私もその場にいたら号泣するだろうなあ。
先日の桧山進次郞の引退試合でも泣いたので ←ピント外れ?w
この記事を見て、コンサートに行かなかったのを後悔(涙)
[太字]OH~[/太字][絵文字:v-10]
局長ビートルズフリークなのね[絵文字:v-237]
あたしもだぁ[絵文字:v-314]
皆様には分かるかなぁ?????
局長はフリークなのよ!!!!
ファンとは違うの。
ここんとこの意味が深いのよねぇ[絵文字:v-290]
局長さん、いくらなんでもこの激務の中 行ってないだろなぁ、行きたかっただろうなぁと思っていたら…[s:20528]
すごい!羨ましい!
Something…絶対泣く[s:20531] 号泣する[s:20529]
71才になって歌うへルタースケルター、聴きたかったなぁ
ジョン・レノンもジョージ・ハリスンも早過ぎましたね。
ほんとに悔しいです。
ところで、撮影OKだったのでしょうか?