週の真ん中に、こんにちは。
ジムでのトレーニングが実に3週間ぶりだったこともあり、昨日は久しぶりに全身が筋肉痛でしたが、それもまた心地よい不思議な感じでした。局長です。
─── さて、昨日のつづきで「ペットロス」というペット飼育の終着点について。
亡くなるまでの最後の闘病期間は、最愛の我が子が苦しむ姿や、それを目の当たりにする自分の辛さも相まって、とてつもなく強いインパクトとして、その後も長きにわたって記憶に居座ってしまうことってないですか?
【前編のおさらい】
“にいぼん”こと石像猫にいなが逝ったときもそうだったのだが ───
16年弱におよぶ元気な頃の姿やエピソードが、僅か2週間ほどの看病や介護の辛い記憶に“上書き”されてしまったのである。
ブログの過去記事や写真を見れば、「こういったことがあった」という“事実”を文字や言葉としては思い出せるものの、シーンや映像としてはまったく思い出せないのだ。
結果、亡くなってからずっと「にいぼんという猫は本当にいたのだろうか」といった思いにすら駆られるようになり、1年半を過ぎた頃からようやく、少しずつだが元気な頃の光景が思い出せるようになったくらいだ。
ポメラニアン真熊についても、今まったく同じ現象が起きている。
毛ぶきのいいモフモフしたシルエットも、小型爆弾のように走り回っていたシーンも、まったく思い出せないのだ。
思い浮かぶのは、この仮住まいの一角に置いた専用ベッドで寝ている姿や、牛歩のような遅さで仮住まい周辺の道を元気なく歩く姿、そして余命宣告後の日増しに衰弱していく姿のみ。
真熊にかつての元気がなくなってきたのは、2021年からのたった2年間。
とくに不調が顕著になってきたのは、今年に入ってからのたった1ヶ月半ほどの期間だ。
それまでの13年半という長い年月は、小さな体に似合わない体育会系ポメラニアンとしてのパワフルさと、カメラを向けると条件反射的に返す笑顔を常に見せてくれていたのに、その姿がどうにも思い浮かばないのである。
こういった“記憶の上書き”もまた、ペットロスの「あるある」なのだろうか。
これから先、真熊との楽しい記憶が自然に思い出せるようになるのは、いつになるのだろうか。
15年半にわたり多くの幸せと愛をくれた真熊に慈しみのクリックを
コメント
【お詫び】
3/8㊌から多くのコメントがスパム扱いになってブロックされていました。
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こちらで見付けられたコメントは、すべて反映させました。
大変ご迷惑をお掛けしました。
局長さんの元気が無いと天国の真熊くんが心配するので、少しずつ日常を取り戻してくださいね。
気持ちの納め方は本当に千差万別です。
無理せず、ご自分のペースで。
長い年月の穏やかな日常や楽しい思い出は短期間でも大変だった・辛い思いや色んな事を沢山考えた時間の方が上回って強烈に残りますよね。
現在の心境を綴って頂きありがとうございました。
遅ればせながら、真熊くんのご冥福をお祈りいたします。
もう相当前になりますが、サザオフでお会いした山口県からの参加者です。
お辛い中、ペットロスの記事ありがとうございます。
サザオフに参加するきっかけになったパピヨンのナナちゃんは2021年にお留守番中に心臓発作で13歳で亡くなりました。
薬を服用していましたが、突然のことで闘病らしいこともなく心の準備もできませんでした。
結婚後に野良さんの子猫が近所にいたのを保護して一緒に暮らしだした猫のジジは昨年8月に腎不全で5歳の若さで亡くなりました。
2人目の子供の出産を2021年12月末に控えていた時に動物病院に連れて行ったら慢性腎不全ステージ2で、まだ薬も療法食もしなくていい段階でした。
出産後あわただしくしていた中、2月に嘔吐が続き再度病院に行くとステージ4で緊急入院して3日の点滴治療になりました。
持ち直してくれて帰宅はできましたが、病院通い、薬の服用、療法食が始まりました。
先は長くないと言われましたが、あと1か月で5歳の誕生日を迎えられるというタイミングもありせめて5歳までという気持ちでした。
誕生日も迎えてくれましたが今度はまた5歳という若さに諦めきれない気持ちが強く嫌がる本人に薬を飲ませる日々でした。
7月には3分もあればごはん完食するほどだった食欲もなくなり、おやつも食べなくなり、歩くのもやっとで横たわることも増え、少しの段差さえ飛べなくなりました。
ムニョムニョだった体も細くなり、抱っこする度に軽さに悲しくなりました。
最期は一緒に布団で抱っこしてありがとうを伝えて看取ることができました。
局長さんがおっしゃるように、
たらればの気持ちが強く、
幸せな時間を過ごさせてあげれたという自負は持てません。
長女も4歳になり優しく接することができるようになり、次女も仲間入りして、一緒に過ごす未来しか想像してなくて現実とのギャップに打ちのめされる日々です。
闘病自体は5か月ぐらいありましたが、動けなくなってからの期間は10日ぐらいだったはずなのに、やはり思い出すのはその10日間です。
元気に走って飛び回って、飲み物みたいにごはんを食べて、おやつの気配を察したら鳴いて、お出迎えをしてスリスリしてくれて、一緒に布団で寝てという日常もあったはずなのに、です。
2020年4月に父が亡くなり、2021年2月にナナちゃんが亡くなり、2022年8月にはジジが亡くなりました。
2018年10月に長女が誕生し、2021年12月には次女が誕生しました。
新しい命の誕生はもちろん嬉しいですが、毎年のように誰かが欠けてしまうことに理不尽さを感じてしまいます。
過去の局長さんの記事の言葉に、すごく共感していました。
突然でも、闘病があっても、どちらの別れがいいとは言えない気持ちです。
ですが局長さんが発信してくれることで私も!と思えることが多々ありました。
まだまだお辛いかと思いますが、嫁女房さんと小倅くんがいてくれることで一瞬でも悲しい気持ちを忘れざるをえない時間もあるかと思います。
ゆっくり時間をかけて、日常を過ごせるようになるのをお祈りしております。
くれぐれもお体をご自愛下さい。
自分の話が長くなってしまい失礼致しました。
いつかその日が来ること、分かっている事ですが自分がどんな状態になるか想像も検討もつきません。
局長さん、無理せずブログに残したい、綴りたいと思った時に…。
嫁女房さんも。
真熊くん。まぐちゃん。
今頃、軽くなったカラダでダッシュしてるかな?それともテリトリー拡大の為にマーキング中かな?
美味しいものいっぱい食べて、たまには局長の夢の中に遊びに行ってね。
>亡くなるまでの最後の闘病期間は、最愛の我が子が苦しむ姿や、それを目の当たりにする自分の辛さも相まって、とてつもなく強いインパクトとして、その後も長きにわたって記憶に居座ってしまうことってないですか?
これはあります。本当にその通りです。
でも私の場合は上書きされませんでした。
2年過ぎた今も亡くなった時の事は鮮明に覚えてますが楽しかったこともそれ以上に残っています。
にいぼんの時もそうだったんですね。
まぐちゃんの事もきっとちゃんと鮮明に思い出す事が出来ますよ。
かなり時間がかかってしまうかもしれませんが。
今の気持ちを語っていただきありがとうございました。
周りの人に頼って少しずつ戻ってくださいませ。
今日まぐちゃんの写真を見て何故か涙が出てきました。
やはり時間はかかりますね。
きっと、まぐちゃんの最後の頃の姿が
強烈に残ってしまい、
それが楽しかった頃の記憶に蓋をしているのかな、
と思いました。
でも局長はまぐちゃんとのたくさんのブログ記事を
残してきました。
今の瘡蓋がいつか取れて、以前のまぐちゃんも
ブログとともにちゃんと思い出せる時が
来ると思います。
ゆっくりゆっくり。
3日連続のブログの更新、お疲れさまでした。
少しまた休んでくださいね。
ラブママさん
何度もコメントを投稿させてしまい申し訳ございません。
なぜかスパム扱いになってブロックされていました。
ブロック解除したら、逆にすべてが表示されてしましました・・・・
ご迷惑をお掛けしました。
きっと、まぐちゃんの最後の頃の姿が
とても強烈に残ってしまい、
楽しかった頃の記憶に蓋をしてしまっているのかな、
と思いました。
でも、局長はまぐちゃんのブログ記事を
たくさん残してきました。
いつか今の瘡蓋が取れて、元気だった頃の
まぐちゃんのことを、
ブログとともに思い出せる時が来ると思います。
ゆっくりゆっくり。
3日連続のブログ更新、お疲れさまでした。
また少し休んでくださいね。
先ほどコメントを送ったのですが
上手くいかなかったようです。
ダブってしまったらすみません。
私もわが子の元気な時よりやせ細っ闘病している姿の方が思い出されています。
人それぞれでしょうがそれも一つの思い出としていかないとね。
ああすれば良かったとか、もっとこうすれば良かったと、完ぺきなお世話をしたと言う人はいないのではないでしょうか?
それも一緒に楽しく生きていたからこそ思えるのではないでしょうかね。
私はその後悔も、一つの思い出として、いつか会える時まで思い続けると思います。
15歳で、まぐちゃんと同じ病気で亡くして、もう6年になりますが私なりのペットロスでしょうね。
こうしてコメをしていても号泣してしまいます。
闘病生活は私も勿論強いインパクトがあります。今でも忘れないし亡くなった日はきっといつまでも忘れません。自分の言動を後悔ばかりしています。
ただ、何ヶ月経ったろうか。
少しずつ、少しずつ愉しい、嬉しかった時間も思い出すようになってきています。
局長さんが完全な独身生活でしたらもしかしたらもっと大変な事に局長さん、なっていたかもしれないと思っちゃってます。
たぶん、まぐちゃんの最後の頃の姿が
とても強烈に残ってしまい、
まぐちゃんが元気だった頃の記憶に
蓋をしてしまったのかなと思いました。
でも局長はまぐちゃんのブログ記事を
たくさん残してきました。
今の瘡蓋がいつか取れて、ブログとともに
まぐちゃんのことを思い出せる時が来ると思います。
3日連続のブログ更新、お疲れさまでした。
また少し休んでくださいね。
ゆっくりゆっくり、です。
と言いつつ、ラブも月ごとに、週ごとに、
老いを感じることが増えてきました。
不安と怖さと、いろいろ感じる日々です。
実はこのコメント、3回目の投稿です。
2回上手く送信されず、しつこく3回目の送信です。
あとで複数コメントがアップされたらすみません💦
その子の人生を振り返った時、闘病期間より日常の楽しい日々の方が長く、思い出も多いはずなのに、なぜか辛いことの方が記憶にはっきり残ってしまいますね…
少しづつ、ゆっくり時間をかけるしかないのかもしれません。
ブログも焦らず、ゆっくりでいいと思います。
毎日更新でなくても、綴りたくなった時で大丈夫ですよ。
まだ気持ちの整理も文章にするのも難しいタイミングだとおもいますので。
3日連続で更新していただき、想いを伝えていただき、ありがとうございます。
局長さんはにいな君やマグちゃんと一緒になって必死に闘ってきたから
その時の記憶が強烈に刻まれてしまっているのかもしれませんね。
いつか少しずつ薄皮を剥がすように、マグちゃんとの楽しかった時のことが
蘇ってくるんじゃないかなと思います。
人の心は自分が思うよりもずっと弱いものなので、決して無理はしないで
今は自分の感情に身を委ねていてください。
局長さんの問い掛け、私も含め大勢の方が”ある”だと思います。
局長さんがもし、その記憶が思い出した時、”雨降り地区”の話も思い出してください。
私は、この話に出会って救われました。
そして、局長さんは”犬の十戒”を全うしたこと、忘れないでください。
きっと、まぐちゃんの最後の頃の姿が
とても強烈に残ってしまい、
元気だった頃のまぐちゃんの記憶に蓋をして
しまっているのかな、と思いました。
でも局長はまぐちゃんのブログ記事を
たくさん残してきました。
時間が経って、今の瘡蓋がいつか取れて、
ブログとともにまぐちゃんのことを
思い出せる時が来ると思います。
ゆっくりゆっくり。
3日連続のブログ更新、お疲れさまでした。
また少し休んでくださいね。
と言いつつ、ラブも月ごと、週ごとに
老いを感じることが増えてきました。
不安と怖さと感じながらの毎日ですが、
まぐちゃんの姿に励まされながら過ごしています。
きっと、最後の頃のまぐちゃんの姿が
強烈に残っていて、
元気なころのまぐちゃんの姿に
蓋をしてしまっているのかな、と思いました。
でも局長はまぐちゃんのブログ記事を
たくさん残してきました。
いつか今の瘡蓋が取れて、
元気なまぐちゃんとの思い出を
ブログとともに思い出せるときが来ると思います。
ゆっくりゆっくり。
今はまた少し休んでくださいね。
ラブも月ごとに、週ごとに老いを感じます。
不安で怖くて、いろんなことを考えます。
でもまぐちゃんに励まされていますよ。
実は昨日から数回、今朝も一度、
スマホからコメントしたのですが、
送信が上手くいきませんでした。
突然、大量の似たようなコメントが
届いてしまったらすみません。
局長さま
お辛い中、お気持ちを綴っていただきありがとうございます。
2013年のサザオフでお会いした、山口県からの参加者です。
ずっとブログを拝見しておりました。
自分の現状と重なることや、自分の気持ちと重なることを局長さんが書かれていることもあり共感することが多かったです。
サザオフに参加するきっかけをくれたパピヨンのナナちゃんは実家で暮らしてましたが、2021年2月にお留守番中の心臓発作で旅立ってしまいました。
野良さんの子猫を保護して自宅で一緒に暮らしていたジジは2022年8月に5歳の若さで慢性腎不全で旅立ってしまいました。
2018年10月に長女、2021年12月に次女が誕生しましたが、2020年4月には父も亡くなっており、毎年のように誰かがいなくなってしまうことに悲しさが強いです。
猫のジジは2021年12月に慢性腎不全ステージ2を言われましたが、まだ薬も療法食もしなくていい段階でした。
次女を出産後あわただしくしていた中、2022年3月に嘔吐が続き再度病院に連れて行ったら慢性腎不全ステージ4で緊急入院して点滴治療になりました。
持ち直してくれて帰宅はできましたが、投薬と処方食、通院が始まりました。
たった3か月で急激に症状が進んだだけあって投薬等をしても進行はゆるやかにもならず、5歳という若さに諦めきれない気持ちも強く投薬を続けていましたが、薬を準備する私を見ると逃げるようになり、7月半ばには投薬をやめました。
ごはんはもちろん食べなかったので、液体タイプのおやつを欲しがるだけあげました。
7月末には3分あればごはんを完食するほどだった食欲もなくなり、おやつも食べれなくなり、少しの段差さえ登れず転倒してました。
ただ、旅立ったのは朝方だったので最期はありがとうを伝えて看取ることができました。
局長さんの書かれている通り、
いま思い出すのはだんだん元気がなくなっていく様子や、動けなくなっていった1週間のことです。
元気に走り回って新築だった家を傷つけられたことや、飲み物みたいにごはんを食べてたことや、お出迎えをしてくれたことや、布団で一緒に寝てたことは幸せな記憶のはずなのにまだ辛いことのほうが上書きされてます。
ひとりになるとどうしても色々考えて無性に悲しくなります。
写真や動画を見てもムニョムニョだった体にさわれないもどかしさが強いです。
嫁女房さんと小倅くんがいてくれるから、まぐちゃんのことを一瞬でも忘れざるをえない時間もあるかと思います。
時間はもちろんかかると思いますが、少しずつ楽しかったことを思い出せるようにお祈りしております。
直近の記憶が色濃くなるのは仕方がないです。
つらいこと、悲しいことなら尚のこと。
時が経てば必ず気持ちに変化が表れます。
今は思い出せなくなっているまぐちゃんと過ごした大切な思い出、楽しかったこと、うれしかったこと、たくさんおでかけしたことは全部このブログが覚えているので大丈夫ですよ。
ご家族と過ごす今の時間を大切にしながら、時間が悲しみをやさしく包んでくれるのを焦らず待ちましょう。
局長殿
一番印象に残っているのがやはり闘病生活になっちゃうのは、本当にそうだと思います。
おまけに、まぐちゃんはずっと元気すぎだったのが当たり前で過ごしてきたのですから。
あんなに元気だったという記憶が闘病という状態になってしまい
局長殿もそちらの記憶が濃くなっているのではないかと思います。
まぐちゃんはとてもできた子なので、局長殿がしてくれた沢山のこと、
沢山の出会いを覚えてますよ。
優しいご家族の中で癒されて、ゆっくりでいいので心の整理をしていってくださいね。