オカンが逝って、一日が過ぎた。
長い長い一日だった。
( 米国ドラマ『24』 の “前回までのあらすじ” みたいな出だし… )
昨日、病院から帰ってきてからオカンは布団に寝ていたのだが、今日は旅支度をさせて棺に移した。
しかし、昨日からお線香をあげに来る方がひっきりなしだ。
俺はけっこう顔が広いのだが、どうやらそれはオカンゆずりのようだ。
親父は早朝に我が家を出て千葉にある自分たちの家に。
遺影に使う写真や、棺に入れてあげるもの、着せてあげる着物などを取りに帰っている。
お昼頃、甥っ子(姉の子)たちを連れて、例の神社へ行ってきた。
「ばぁばが無事に天国に行けますように」
と3人でお願いしてきた。
左が[小坊主]。 小1。
右が[小僧]。 小5。
俺は彼らが生まれた時からそう呼んでいる。
ちなみに手前は[真熊]。 2歳。
ばぁばが死んだということを理解できているのか、そうでないのか、彼らがどう受け止めているのかは分からないのだが、とにかく今日も元気いっぱいである。
その明るさに接していると、とても救われる気分になる。
未だ実感が湧かないのかな。
オカンは本当にコイツらを溺愛していた。
俺には子供がいないから、コイツらだけがオカンにとって孫である。
小僧が生まれた時の喜びよう、小坊主の天然っぷりへの癒されよう――
「目に入れても痛くない」 というのは、こういうことなんだろうと傍から見ててもよく分かった。
当然、親父もコイツらを可愛がっている。
しかし、コイツらも成長するごとに当然 「知恵」 がついてくるのか、最近では親父が 「散歩に行こう!」 と誘っても
「えぇ~、寒いからいい」
なんて断るらしく、昨今、親父の愛情が極端なまでに真熊に注がれているのはそのせいなのかもしれない・・・・
年内は姉もコイツらと共に我が家へ泊り込み、火の番や家事を手伝ってくれるので、にぎやかに過ごせそうだ。
そのほうがオカンも喜ぶだろう。
コメントを戴いている皆さまへ
本当にありがとうございます。
ご自分の(恐らく思い出したくないであろう)経験をもとに励ましていただいたり、携帯メールまで送ってくださったり、本当に皆さまに元気付けられています。
顔も知らないブログを通してのみのお付き合いなのに、こんなに力を戴けるとは思っていませんでした。
もう少し時間をください。
今は葬儀の準備やら、母の知人への報告やらで奔走しておりますが、必ずコメントお返ししますので!
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