金曜日の朝に、こんにちわ。
東京五輪委員会の新会長が決まりましたね。あとは開催ができるのか。局長です。
─── “にいぼん”こと石像猫にいなの生きた軌跡を3話に分けて振り返る最終章。
以前、「嫁女房日記」でもそんなことが綴られていたが、にいぼんは俺の人生のあれこれを隣で見守って、同時にすべて受け入れてくれていた。
にいぼんを保護して家族に迎え入れた2005年の春、俺にはパートナーがいた。
その女性と共に哺乳瓶でミルクを与えながら、にいぼんを育て始めた。
結局、その女性とは別れることになり、にいぼんを連れて行かれると思っていたのだが、「別に私そこまでにいなに依存してないし」というまさかの言葉を残して去って行ったため、にいぼんは引きつづき俺の元で暮らすことに。
その後、あの“広島女”がやって来た。
メンタルに傷を負い休職していた彼女は、俺のいない平日の昼間はアライグマ千寿に、夜は隣のお婆ちゃん宅から帰ってきたにいぼんに癒やされながら療養生活を送っていた。
にいぼんもそのセンシティブな事情を理解していたのか、彼女が寝るときに強引に抱き締められても、渋々受け入れてあげる優しさを見せてくれていた。
ほどなくしてポメラニアン真熊がやって来た。
にいぼんにとっては生まれて初めての犬との接触だったが、とくに気にする様子もなく、元気があり余って理不尽なちょっかいばかり出してくる真熊のことも、“兄”として受け止めてくれていた。
その翌年には、成猫の状態で現れた寿喜も家族の一員に加わり、さらに翌年に広島女が家を出て行くと深刻な“スプレー問題”を引き起こして俺を苦しめたが、二年後、俺に新たなパートナーができると、これまた何も言わずに快く迎え入れてくれた。
さらに一年半後、将来の伴侶となるツンデレ三毛猫の稚葉が現れ、緊張しながらの「家族化トレーニング」が終わると、早い段階から優しく受け入れてあげていた。
結果、稚葉もすんなりと我が家に馴染むことができたのだった。
俺が不甲斐ないばかりに、またも別れが来てしまい、そこからはパートナーらしき存在ができたりできなかったりといった時期がつづいていたが、その間もにいぼんは誰が来ても物怖じせずに迎え入れてくれていた。
そして最後に嫁女房が我が家にやって来た。
きっとにいぼんの中では「またか・・・」といった思いもあっただろうが、いつもどおり迎え入れつつも、いつになく一定の距離を保っていた。
にいぼん的に「この女は長くいることになりそうだ」と感じての“品定め”だったのだろうか。
なかなか距離を詰めずに、だからといって決して避けることもなく嫁女房を観察していた。
最終的には嫁女房のことも認めてあげたようだが、寿喜や稚葉が“嫁女房派”に寝返ってからも、最後まで“局長派”として俺への忠誠を貫きつづけてくれていた。
哺乳瓶で育てただけあって、俺のことを親だと思ってくれていたのだろうか。
こうして、俺の“黒歴史”的なパートナー遍歴をいちばん近くですべて見守ってきたにいぼん。
きっと相手が嫌な思いをしないようにと気をつかうことも多かったことだろう。
俺にとっては息子というよりも“同志”のような存在だったにいぼん・・・・
ちなみに「にいぼん」という呼び方だが、実は2008年くらいにはもう定着していた。
なぜそうなったのかは、今となってはよく覚えていないが、きっと本人(猫)も自分の名前は「にいぼん」だと認識していたと思う。
生きることを諦めなかったにいぼんに15年間の労いをお願いします
コメント
局長さんの歴史と共に生き抜いてきたにぃなちゃん
ずっと見守って来てたんですね
にぃなちゃんからすれば「お盛んで…」と云う心境だったと思いますが、早く身を固めて欲しいと云う親心も有ったはず(私も含めて笑)
奥様が来られて、ちゃんとこの人ならと安心したはず
そして猫パンチがご祝儀代わりだったのかしら…
にぃなちゃん、命の限界まで闘って私にとっては存在感の大きなたくましいニャンコちゃんでした
読者さんはずっと忘れないと思います
たくさんの人と動物を受け入れてきたにいなちゃん、
一見頑固なようで、心は寛容ですね。
知らない人が家に入ると逃げてしまう猫が
多いと聞きますが、
にいなちゃんは「お父さんが連れてきた人」と理解して
受け入れたのでしょうか。
天然のコトちゃんとはちょっとそりが合わなかったときが
ありましたが、
心に傷を負ったわかちゃんには
驚くほどわがままを聞いてあげていて、
なかなかの男っぷりを見せてくれました。
嫁女房ちゃんには「シャー」をご披露したんですね(笑)
ずっとこの家にいる人だと感じて、
ご挨拶代わりの行動だったのかしら。
なんとも不思議な猫ちゃんでしたね。
不器用だけれど男気の感じられるにいなちゃん、
本当にお疲れさまでした。
ちっちゃいときの写真、可愛いです❤
渋い高倉健さんバリのフェイスのにいなちゃんも小さいときはジャニーズのような
ミルキーフェイスだったんですね。チョーラブリーです💛
局長さんも、やはり若い!!
とっても寛大な心のにいなちゃん。
局長さんに伴侶ができて安心したでしょうね。この女性なら大丈夫だって。
威嚇のシャーは、局長さんから離れたら許さないよ!頼んだよ!の気合、喝入れだったんですかね?!
にいなちゃんが安心して向こうの世界で暮らせるよう局長さんたちは
倖せでいないと・・・ですね( *´艸`)
にいぼんは懐が深いですね😀
局長さんのパートナーが変わっても、新しい家族が増えてもすんなりと受け入れて。ことちゃんの時はいろいろあったけど😅
実はシャイボーイだったのを嫁女房日記を見て思い出しました。
皆んなが見てない所で嫁女房さんに甘えていたにいぼん、素敵な男です❤️
にいぼんの呼び名の歴史がそんなに古いとは!
てっきり嫁女房さんが名付けたのかと思ってましたよ。
私もにいぼんは嫁女房さんが付けた呼び名だと思ってました。
そんなに前から呼ばれていたとは。
にいな君がみんなに好かれるわけが分かったような気がします。
みんなにいな君のそばにいると、包まれるような感覚になって
安心するんでしょうね。
一度お会いしたかったです。
マグちゃん、今日もご飯食べたかな?
コトちゃんもわかばちゃんも、ちゃんと食べるんだよ~
にいなくんと局長さんは、強い絆で結ばれた同志だったんですね。
お父さんが連れてくる人(犬や猫も)なら大丈夫、という信頼もあったのだと思います。
とても素敵な関係だなと思いました。
嫁女房さんへの「シャー!」も、きっと、にいなくんの愛を込めた挨拶だったのではないでしょうか😊この人なら、お父さんを任せられる、って。
にいなくん、シャイだったけど、男気があって、それでいて実は甘えん坊さんで、そして優しい子だったんだなと思います。
にいなくんの生きた軌跡を残してくださって、ありがとうございます。
実はにいぼんの呼び名が局長さんから始まり、こんなに歴史があったなんて知りませんでした!
私も敬意を持ってにいぼんって呼ばせてください。
にいぼんは局長さんのパートナーにも、同士にも、親子にもなれる本当に特別なにゃんこでしたね。
これだけ寛容に受け止めてくれるのはやっぱり局長さんとの絶対的信頼があったからではないでしょうか。
初めて来る人も、動物も、
「お父さんが連れたきたやつだから」
そう思って受け止めてくれていたと思います。
本当に優しいにいぼんです。
そしてどの写真もにいぼんがとてもいいお顔してます。
にいぼんは赤や青のリボン、隣のおばあちゃん手作りの首輪がとても似合うオシャレさんでしたね^^
最後まで局長派を貫き、男気溢れた優しいにいぼん。
ずっとずっと忘れません。
本当に本当にありがとう。
にいなちゃん!
ずっとブログを読ませていただき、突然の訃報にただただ驚くばかりです😭
にいなちゃん、とても繊細でいて寛大な心を持っているんですね!
最後まで生きようとした前向きな姿忘れません。
たくさんの笑いとたくさんの癒しをありがとう!
にいなちゃん、お空でも楽しく生活してね!
まぐちゃん、うちの子もポメで腎臓病を患っています!一緒に治療頑張ろうね^ – ^
にいなちゃんは特に局長さんが居ない留守中を任されてたイメージがあります。グッとこらえて個性的な皆をうまく受け入れられる器の大きく優しい長兄ですよね。
にいぼん、「今回のお姉ちゃんはだいじょぶにゃ❕❕お姉ちゃんを、相棒のお嫁さんと認めるにゃ~❕❕」そして、「これから、相棒を頼むにゃ~❕❕、気合い入れてやるにゃー❕❕」ってことで、にぼんの、”シャー❕❕”が出たと思います。
にいぼん、局長さんのこと心配してたんですね。。。
しばらくプログを拝見していなくて、さっき知りました。本当に悲しい。心からお悔やみを申し上げます。ご家族みなさまお力落としのことと思います。体調崩されませんように。