「3.11」の朝に、こんにちわ。
あれから11年も経つのですね。自分の記憶もどんどん風化している気がします。現地の人はまだまだ元の生活に戻れていないというのに、良くないですね。局長です。
─── さて、長らくつづいた、お正月の“千葉の親父宅”訪問レポートもようやく最終章。
帰路に就く前に夕食を済ませ、恐らく混んでいるであろう時間帯を避けて、かなり遅くに出発しようと目論んでいた我々一行。
俺は、ポメラニアン志熊との別れを惜しみつつ、最後の時間を楽しんでいた。
ポメラニアン真熊の実の子供だというのに、風貌も性格もまったく似ておらず、完全に「別の生き物」として進化してしまった志熊。
「会陰ヘルニア」を患って手術した直後だったが、元気な様子で安心した。
本人(犬)も知らないうちに、親父の“生き甲斐”という重責を担わされてしまっているが、どうか次に会うGWまでその任務を全うしておいてくれ・・・・
その後もエンドレスで全うさせられることになるのだが。
この無邪気すぎる性格ゆえか、これまでも“アンゴルモアの大王”という子供を上手く相手してきただけあって、真熊が大の苦手とする小倅に対しても、とくに苦にする様子も見せない。
つまり今後は、親父だけでなく小倅の相手も任せきりになるかもしれない。
予想に反して、いつの間にか頼りがいのある存在に成長しているらしい志熊。
ありがとう。
またGWに会おうぞ!
冒頭にも綴ったとおり、年々「3.11」の記憶が明らかに薄れてしまっていっているので、改めて当時の状況を振り返ってみることにした。
被害なんてほとんどなかった安全な場所にいた俺だが、当時感じたことなどや困ったことなどを思い返して、とにかく記憶を風化させないようにしなければ・・・・
- 3.11無事の報告
多くの人からLINEやメールで安否確認が来たので、停電復旧と同時に大急ぎでアップしたのがこの記事。
- 3.123.11当日の詳細
3.11当日の様子を説明した記事。
関東地方ですら、それなりの非常事態に陥っていた。 - 3.13千葉の親父や義兄の状況
太平洋沿岸に住む親父を心配する声もいただいたので、その様子を。
消防官である義兄は、その日のうちに被災地へと旅立って行った。
いろいろあったんだな。
ちゃんと記憶に留めつづけなければ・・・・
今回もその無邪気さゆえに俺たちを癒してくれた志熊にクリックを
コメント
しぐまくんは本当に温厚でフレンドリーな子になりましたね❣️
田舎暮らしがそうさせたのか、育て方なのか。甘えん坊だけどちゃんと小倅ちゃんと遊んでくれそうです。
今度はゴールデンウィークですね、楽しみです。
東日本大地震の時、私は自宅にいました。
停電もなかったのでTVで流れる映像をずっと見てました。
あれから、水や食料、携帯トイレなどそれなりの準備はしてます。
自然災害は本当に怖いですね💦
志熊くんは本当にこどもに耐性のある(?)素直で純粋な子に育ちましたね^^
きっと歴代の子供たちの相手をしたり、大自然の中たくさん愛情を受けて育ったゆえだと思いますよ!
これからも子倅くんとたくさん遊んでくれることでしょう^^
次のGWには子倅くんもまた1つ成長してお正月とは違う絡みが見られるかもしれませんね(*^^*)
次の訪問が早くも楽しみです!!
震災の日になると、テレビでたくさん特集が組まれ、あの日どう過ごしていたかを思い返すのですが、東北に住んでいたって記憶が曖昧になってしまっていると痛感させられます。
あの日はあんなに大変だったし、様々な思いを持っていたはずなのに…絶対忘れては行けないと思っているのに、無惨にも時はすぎ、人の記憶は次々塗り替えられていきます。
それでも、日常過ごしていく中で心の片隅にでも風化させずにいたいという思いを持ちつつ、過ごしていきたいと改めて今日感じました。
田舎でのびのびと暮らしじぃじの愛情を独り占めすると
こんなに穏やかで無邪気な可愛い子に育つんですね。
毎日のお手入れで毛並みもつやつや。
これからもずっとこのままの志熊君なんでしょうね。
次回が今から楽しみです。
今日は会社で黙祷がありました。
あの日揺れた時自分が何をしていたか、その後家に帰った時
テレビを見ながら母親が言った「早く逃げて」の言葉だけは
11年経った今でもはっきり覚えています。
大地震がくると言われ続けている県に住んでいるので
本当に他人事ではないと思っています。
志熊君がフレンドリーで良かったですね🎵
GWまでには自由に行き来できる世の中になってると良いですね。
世間もメディアも昨年の10年を区切りにしてしまっています。
区切りってなんなのでしょうね。