木曜日の昼下がりに、こんにちは。
衆議院が解散するようですね。このタイミングで選挙となると、あの批判ばかりの政党は一気に議席を失うことになりそうですね。局長です。
─── 少し遅くなってしまったが、先日の日曜日は我が家にとって悲しい節目の日だった。

1月11日。
そう、ポメラニアン志熊が突然この世を去って、早2年という忌日である。
2024年のこの日に志熊が逝ってしまってから、俺にとってはあっという間の2年間だった。
【2024年1月11日にそれは起きた】

なんの予兆もない中で、当時80歳だった親父を悲しみのどん底に突き落とした志熊の急逝。
2年前の親自宅での火葬以来、親父とは一度も志熊のことを話していないし、親父の口から「志熊」の名前が出ることもない。
お盆やお正月に親自宅へ遊びに行った際に、無邪気な小倅が親父に ───


志熊いないの?
と聞いて俺や嫁女房を凍りつかせたことが数回あったくらいで、お互い不自然なまでにその話題を避けている。

小倅(こせがれ)
局長の息子で、“人間”では長男。
2021年3月4日生まれの4歳。
『きかんしゃトーマス』にドハマり中の保育園児。
☞ 詳しいプロフィール

天国の志熊は、自分のことを思い出してたくさん話をしてもらいたいと思っているかもしれない。
しかし、親父が漂わせている空気感から、こちらからはそのことに触れられないものがある。
俺は志熊と一緒に暮らしていたわけではないので、実は未だに死んでしまったという実感がない。

元々、年に2~3回しか会えない距離だったから、少し合わない期間が長くなっているような印象で、そのせいか例の「記憶の蓋」は作動していない。
志熊との記憶はちゃんと思い出せる。
【記憶の蓋とは】

それでも親父の家に行くと、そこにいるはずの志熊がいないことに「やっぱり死んだのか」と思い知らされては、また悲しみを新たにし、かたや親父の家から自宅へ戻ると、やはり志熊がいなくなった実感は急激に薄れていき、今も親父の傍らにいると錯覚する ── というフローを永久機関の如く繰り返す不思議な日々なのだ。

本当なら先日のお正月も、志熊には小倅の遊び相手になってもらい、さらには小童の子守りをしてもらっていたはずなのだ。
どうにも辛く悲しい現実。
親父は何を思いながらこの日を過ごしていたのだろうか・・・・
この先、親父と笑いながら志熊を振り返って思い出話に花を咲かせられる日は来るのだろうか








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