花金の昼下がりに、こんにちは。
昨夜はとんでもない大雨でした。台風から遠く離れた神奈川県だというのに、玄関まで冠水するんじゃないかという雨量で狼狽えました。局長です。
─── 昨日は「嫁女房日記」で触れたとおり、天然猫の寿喜が逝って初めての月命日だった。
嫁女房も辛い心の内を少しだけこじ開けたので、俺も少しずつ振り返ってみようと思う。
16年弱という長きにわたって俺と一緒にいてくれた、寿喜の生きた証しを。
【昨日の嫁女房日記】
思えば、石像猫にいぼんが逝ったときも、ポメラニアン志熊が逝ったときも、最期の様子をすべて記録した上で、どれだけ彼らを愛しく思っていたかをちゃんと振り返って綴ってきた。
【にいぼんの振り返り】
【志熊の振り返り】
でも、ポメラニアン真熊については、未だにそれができずにいる。
どうにも腰が重く、手も動かせないまま、気が付けば真熊が逝ってもう1年半が過ぎてしまった。
それくらい、今なお真熊の死と向き合うことを脳が拒否している。
一方で、寿喜については、ちゃんと振り返れそうな気がする。
くれぐれも、寿喜への愛情が浅かったということではない。
何度か綴っているとおり、俺が真熊のときのように壊れてしまわないよう、寿喜が命を賭してまで“2ヶ月間”という「終活」期間を絞り出してくれたからだろう。
だから1ヶ月が経過した今も、「記憶の蓋」がされてしまうこともなければ、駅前の立ち飲み屋さんに現実逃避しに行くこともない。
毎日ちゃんと寿喜の仏前にお線香を上げて、「おはよう」も「おやすみ」も言えている。
もう一つ、自分を保てている理由がある。
それは、医療の面については「やるべきことはすべてやった」と言い切れるから。
真熊のときは少なくとも2回、判断や選択を間違えた。
「あそこで間違わなければ、真熊はもう少し生きられた」という後悔と自責がずっと残っている。
だが、寿喜が今の動物病院に転院してからここまでの3年半は、幸いにも正しい判断もできてきたし、最適な医療も施せたという自負がある。
唯一の後悔を挙げるならば、「もっと早くに今の動物病院へ転院していれば・・・・」ということくらいだ。
とはいえ、全部が全部、自分の中でスッキリと消化できているわけではない。
この2ヶ月間の闘病期間は、上述のとおり「終活」だったはずなのに、俺は途中で欲をかいた。
限界を越えたところで頑張ってくれている寿喜に対し、復調して再び元の生活に戻ることを2回ほど夢見てしまったのだ。
つづく・・・・
16年弱という長きにわたり共に生きてくれた寿喜にクリックを
コメント
終活の時間をことちゃんがくれてもやはり時間はかかりますよね。
まだ一緒に居たい、声を聞きたいと欲も出てきます。
病院選びって大切ですよね。
いい先生と出会えて良かったです。
そちらはそんな雨が降ったんですね。こちらはそうでもなかったです。
コトちゃんがくれた2カ月はとても大事なものだったんですね。
これが終活だったんだってことは、亡くなったから気づいたわけで
コトちゃんが頑張っている時は復調を夢見てしまっても仕方ないですよ。
時々遊びに来ているかもしれませんね。
マグちゃんをどれほど愛おしく思っていたかは、このブログの中に
溢れていますよ。
案外、ホントにいそうですね…。局長ファミリー全員 (笑)
私も、寿喜君がもう一度何事もなかったかのように復活してくれると漠然と思っていました。
今は、寿喜君の見事な「終活」を褒めてあげましょう。
通常の生活ではただ見えないだけで、魂はいつも一緒にいると思います。
ちょっとした拍子で、姿が見えるのかもしれませんね。
きっとその時は寿喜君、にいな君や真熊君から
「コト!!見えてるニャッ!! 見えてるワン!!」
って、ツッコミ入れられてますね。