義父の死

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12月最後の新しい週に、こんにちわ。
あと二日三日で仕事納めですね。大掃除して新年に備えなければ。局長です。

─── さて、先日いきなり報告したきりになっていた件の詳細を。

ポメラニアン真熊

義父の死去について。
※ペットブログとは逸脱した内容になってしまうが、備忘録として綴りたいので、興味のない人はどうぞスルーしてください。

義父は国の指定難病に罹患していた。

国の指定難病とは主に、その病の原因治療方法がまだ確立しておらず、治癒が物理的に不可能な疾病のこと。
日本には、300以上もの指定難病があり、多くの人が苦しんでいる。

俺と嫁女房が結婚することになり、両家で顔合わせをしたのが、2018年の暮れ。
その頃から少し体の変調を自覚していたが、本人も一時的なものと考えていた。

2019年9月に俺たちの結婚式を執り行ったが、まだ症状がつづいていたため、翌月あたりから病院での検査を始めた。
しかし、医師が見当を付けていた結果ではなかったことから、紹介状を持って大学病院での検査を行うと、どうもその難病の疑いがあるという結果に。

突然そんなことを言われても、当たり前だがどうにも受け入れ難く、セカンドオピニオンで別の専門医で再検査してみるも、やはり同じ結果が出てしまった。

やむを得ず事態を受け止め、この病の症状の詳細や、今後どういったことが起こるのか、余命がどのくらいなのか・・・・といった残酷な現実と向かい合う作業が始まると、まるでタイミングを見計らっていたかのように、少しずつ症状が進行し始めた。

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ポメラニアン真熊

とくに不摂生をしていたわけでもなければ、同じ病を患った親族もいない。
大きな病の遍歴もないし、治療中の疾患もない。

ポメラニアン真熊

真面目に定年まで勤め上げ、2~3年の延長雇用もして、ちょうどこの年に退職し、晴れてフリーの身となって老後の生活がスタートしたばかりだったというのに、なぜその義父がこんな「年間10万人あたり1人」という発症率の難病に罹患しなければならないのか。

嫁女房たち家族の失意と憤りは相当なものだった。

義父の人生設計では、2019年に退職し、翌2020年に東京五輪を地元で観戦したのち、故郷である山形の実家に戻り、幼なじみや級友に囲まれながら楽しい老後を夫婦でのんびりと過ごす─── という計画だった。

そこへ、この難病。
さらには新型コロナの蔓延で、東京五輪は延期になるわ、娘(義妹)の結婚式は開催できるかも分からない状況に陥るわと、人生設計が片っ端から狂わされることに。

それでも、なんとか義妹の結婚式でバージンロードを一緒に歩き、一年延期が決まった東京五輪を観戦してから山形へ戻り、そこで闘病生活を送ろうと、当初の人生設計を少し修正した。

しかし、こんな暗く辛い未来しか見えない中でも、予想外の明るい光が射し込んだ。

嫁女房の妊娠が判明したのだ。
義父にとっての初孫である。
予定日が2021年3月3日だと分かり、もう一つ頑張る理由ができたのだった。

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そしてやって来た2020年9月19日、義妹の結婚式では無事に腕を組んでバージンロードを歩いた。

お互いに嬉しかったのか、最後の「両親への手紙」の後には抱き合っていた。

この後くらいから、少しだけ症状の進行がスピードを上げたような気がする。
思うように栄養を取れなくなり胃瘻を装着したり、通院から訪問診療に変わったり、ケアマネージャーが就いたりと、日々刻々と事態が進み始め、義父の体重もかなり落ちていった。

ポメラニアン真熊

初孫を抱く」という次なるミッションが義父の気力を後押ししてくれているように見えたが、さらに背中を強力に押し込むような出来事が。
義妹にも妊娠が判明したのだ。

我が家と異なり、とくに計画的ではなかったらしく義妹自身も驚いていたのだが、義父への最後の親孝行ができることの喜びのほうが大きいようだった。

この二大ミッションによるものか、心なしか病の進行が急ブレーキを掛けたようにも感じさせる体調のもと、無事に年も越し、ついに3月11日に念願の小倅こせがれとの初対面を果たした。

嫁女房の里帰りもあり、毎日泣き叫ぶ小倅のおかげで睡眠を妨げられることも多かったと思うが、義父の表情は充実しているように見えた。

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5月2日まで二ヶ月弱も孫と共に暮らし、以降は週一で孫が遊びに来るというサイクルとなったものの、今度は8月から義妹の赤ん坊が家族に加わり、まさかの“一気に孫が二人”という状況に。
義父の病のことで暗い空気になりつつあった嫁女房の実家は、急に明るくてにぎやかな雰囲気に激変した。

嫁女房の家族も、このままの状態でなんとか凌ぎつづけてほしいと願ってはいたが、実際にはこのあたりから明らかに病の進行が再び加速を始めたようだった。

少しでも辛さを緩和させるような処置を在宅でもできるようにしてもらったり、ケアマネージャーの訪問頻度を増やしてもらったりしつつ、嫁女房も小倅を連れて実家へ泊まるという日が増えていった。

義父は次第に言葉を発することも辛くなっていたが、それでも最後に国民の義務を果たそうとしたのか、衆議院選挙には絶対に投票したいと、介護タクシーまで使って投票所を訪れた。

11月に入ると、いよいよ状態は悪化の一途をたどり、平日は嫁女房と義妹がそれぞれの赤ん坊を連れたまま常駐することに。
3人交代で義父の呼吸が急に止まったりしないかを確認していた。

11月10日の夜に嫁女房が一時帰宅をするも、数時間後の11日未明には義妹から「危ない」という一報が入り、俺も一緒に車で駆けつけたが、義父は言葉を発せないものの手で我々を制すようなゼスチャーを見せ「大丈夫」という意思表示をしてくれていた。

しかし11月13日の早朝、当番を外れたタイミングで嫁女房と義妹が仮眠を取っている間に、そっと息を引き取った。
まだ68歳という若さで。

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最後の一ヶ月弱は、トイレに自力で歩くこともできなくなり、嫁女房たち家族が両方から肩を支えたり、鼻から注入する酸素濃度を少しずつ上げたりといった「介護」が必要になっていたが、嫁女房がすごく重い言葉を口にした。

嫁女房
嫁女房

育児」は赤ちゃんが成長してくための作業だけど、「介護」はその先に“”しかないんです。
介護が終わったときは、すなわち“”なんです。
そんな現実の中で介護をすることがどれだけ辛いか、身をもって分かりました。

非常に重たい言葉である。
オカンは突然死だったため、俺は介護を経験したことがない。

確かに「介護は大変」と漠然と理解はしているものの、そのゴールには“”しかないなんて考えもしなかった。
配偶者や親の介護をしている人は、こんな辛い思いをしているのかと改めて痛感した。

義父は、望んでいたような老後は過ごせなかったが、その中でも愛する娘たちの子供、つまりそれぞれの孫を自身の手で抱くことができたのは、最後の最後に手にすることができた大きな幸せだったのではないだろうか。

ポメラニアンと赤ん坊

小倅が物心をついたときには、きっと義父との記憶は残っていないのだろうが、写真と当ブログによる「記録」はある。
自分がじぃじに“生きる活力”を与えたかけがえのない存在なんだということを、何度も言い聞かせながら育てていかなければ。

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義父の療養に付き合っていた小倅の雄姿にも二発目を。
今日の一言・・・というか“こぼれ話”

先日の12月19日(日)に、少し早めの四十九日法要を行った。
(四十九日が大晦日に当たってしまうため、この日に)
小倅は誰もいない、部屋のある一点を見つめながら何度も微笑み、さらには首をかしげてニコッと笑った。
よく、心が澄んでいる子供の頃は「見えないものが見える」なんて言うが、まさにそれだったのだろうか・・・・

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コメント

  1. チップママ より:

    義父様は世間でいう、一番幸せな眠りのつきかたでしたね。私の父の時を思い出しました。 家族の皆さんの大きな愛に包まれながら、、、身体の苦しみはあったけどどんなにか心強かったと思います。お孫さんの誕生、娘さんを守ってくれる旦那さんの存在が、ものすごく安心出来た事でしょう。ブログをしている局長さんが撮った写真や動画は、ご家族の家宝になりましたね。ブログしていなかったらもっと少なかったですよね。 義父様は家族の皆さんにありがとう。の気持ちいっぱいで安心して眠りにつけた事かと思います。ほんとに親孝行な自慢の娘さん、旦那さんです。 子倅ちゃんには微笑むおじいちゃんが見えたんだね(*^^*) きっとこれからずっと、皆さんを見守ってくれてますね。11月13日は、いい父さん。の日ですね。 これからも沢山の事を乗り越えながら、沢山楽しみも作って頑張って下さいね。応援しております。

  2. なお より:

    これから幸せなセカンドライフ…という時に切ないですね。
    確かに思い通りの余生ではなかったでしょうが
    やはりお孫さんが一気に二人も出来たのは大きな喜びだったでしょうね。

    難病といっても様々で、お陰さまで私のように命を繋いで貰っている者もいます。
    つくづく、人の運命って分からないものだと実感しています。
     
    でも、お義父様の命は確実に二人のお孫さんに引き継がれているのですね。
    改めて、お悔やみ申し上げます。

  3. ラブママ より:

    お若くして難病の宣告を受けたときは、
    どんなにかショックだったことかとお察しします。
    でも嫁女房ちゃんの結婚に続いて
    義妹さんとバージンロードを歩けたことや
    初孫に会えたこと、
    さらには2人目のお孫さんを抱けたことは、
    闘病中の大きな支えになったと思います。
    まぐちゃんのことも可愛がってくれましたね。

    改めてご冥福をお祈りいたします。

  4. くうぱぱ より:

    男の人生の最期、拝読させていただきました。
    涙が溢れてきます。

  5. クッキー&ちゃちゃ より:

    朝見て泣いてしまいました。
    義父さま、まさにこれからって時に旅立たれ悔しかったと思います。
    難病だったとは。
    定年後の予定もしっかりと立てていたのに。
    でも、娘さん2人の幸せを見届けて、孫まで抱く事が出来て間違いなく幸せだったと思います。
    小倅ちゃん、大役を果たしましたね。

    私の実父も2ヶ月前から寝たきりで全介護が必要となりました。嫁女房さんの言った言葉、本当に良く分かります。
    68歳はあまりにも若いです。
    改めてご冥福をお祈りいたします。

  6. まっくろくろすけ より:

    改めてお義父様のご冥福をお祈りいたします
    嫁女房さんの言葉に考えさせられました 父の介護を経て、今、新たに母の介護までいかないものの介助が始まっています 親を大事にしないといけないなと…
    お義父様が天国で家族のみなさんを見守ってくれてますよ 

  7. とりっこ より:

    お義父さま、まさにこれから第二の人生の始まりというタイミングでの難病宣告はお義父さま自身もご家族もとてもお辛かったと思います。

    辛く苦しい闘病生活の中で、その時々に射した光がお義父さまの生きる気力に繋がったんだと思います。
    ただ、現実は厳しく、体は思うようにならなくなる。
    そしてそれを介護する家族。
    嫁女房さんの言葉はとても心に刺さり、考えさせられました。

    最期まで家族を愛されたお義父さま。
    小倅くんに会いに来てくれたんですね。
    きっとこれからも家族みんなを見守ってくれると思います。

    改めてご冥福をお祈りします。

  8. つばめ11号 より:

    お義父さまが亡くなったと以前の話で読んだ時には、まだお若いのに残念
    と思いましたが、こういう事情があったのですね。
    私は母を癌で亡くしましたが、日々弱っていく姿を見ているのは辛かったなと
    思い出しながら読みました。
    嫁女房さんのご家族も介護を頑張られたんですね。ずっと家で過ごせて
    ご家族の元から旅立てたのは幸せだったと思います。

    そして四十九日法要の時小倅君には大好きなじぃじが見えていたんですね。
    小倅君が元気の源になっていたことは間違いないと思います。
    これからも天国から孫たちの成長を見守り続けてくれるでしょう。

    こんな素敵なおじいちゃんと短い間でも一緒に過ごせたこと、
    小倅君も幸せでしたね。

    • 匿名 より:

      この日記が記録と記憶のとても壮大な記しのように感じました
      ただの日記ではありません
      全部が繋がっていますね
      今までも勿論この先も更にいろんな深い意味を持ちそうですね
      少し想像しただけでも涙が出そうになります
      改めて御悔やみ申し上げます

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