新しい週に、こんにちは。
サッカー欧州チャンピオンズリーグで優勝を祝うファンが暴走して559人が逮捕って、どうして世界のサッカーファンはこうも極端な行動をしちゃうのやら。局長です。
─── さて、再び「従来の時系列に沿ったお話」シリーズの続編を。

ずっとレポートを綴れていなかった、2024年5月4~5日に千葉の親父宅へ遊びに行ったお話。
つまり、昨年のゴールデンウィーク(GW)という1年も前のレポートである。
滞在2日目の2024年5月5日(日)は、子供たちに人生初の海を見せるべく「御宿海岸」を全員で訪れて、ひとしきり海風を浴びた後は親父の案内で近くの漁港へとやって来た。
【前話のおさらい】

生まれて初めてたくさんの漁船を見ながら、コンクリートの防波堤(防潮壁)沿いをただ歩くという、別に何ら興味深いことは生じない時間だったが、小倅はなぜか終始楽しそうだった。

小倅(こせがれ)
局長の息子で、“人間”では長男。
2021年3月4日生まれの4歳。※当時はまだ3歳
『きかんしゃトーマス』にドハマり中の保育園児。
☞ 詳しいプロフィール
その後は、さらに車で少しばかり移動して、小高い丘のような場所へ。

『メキシコ記念公園』という場所で、目の前にそびえ立つのは「メキシコ記念塔」。
何をそこまでメキシコを記念しているんだというほどメキシコ尽くしのネーミングだが、そこには歴史の真実が関係している。

1609年、スペイン船「サン・フランシスコ号」がこの御宿沖で遭難、および座礁してしまい、なんとか海岸まで泳ぎ着いた乗員317名(他の56名は溺死)を、決して裕福ではなかった御宿の地元住民たちが救助して、綿入りの着物や食料を気前よく提供するなどして保護した ── という史実を記念し、1928年に建立されたそうな。

そうなると、「スペイン船を救助したのに、なんでメキシコ?」と思うことだろう。
この船は、メキシコからフィリピンに向かっている途中での遭難した。
当時のメキシコはスペインの植民地だったので、この船は“スペイン船籍”となるのだ。

この出来事が日本・スペイン・メキシコの交流の礎となったことから、この塔は「友好の象徴」とされているらしい。
そんな歴史を振り返ることもなく、御宿海岸や網代湾を一望できる見晴らしのいいこの公園で、ただ休憩がてら少しのんびり過ごす我々一行。

これより4ヶ月前の1月にポメラニアン志熊が急逝して以来、初めての親父との再会だったのだが、ここからの眺望と小倅の無邪気さとで、親父の深すぎる悲しみもこの時間だけは少しくらい紛らわされてくれただろうか。
【志熊の急逝後は一度も会えていなかった】

こうして、小倅と小童に生まれて初めての海を見せるという本来の目的も無事に達成されたことで、親父の家へと戻ることに。
なかなか穏やかな時間を過ごせたと思う。
つづく・・・・
3歳のこれくらいの時期が子供って一番可愛いのかもしれない。体も小さくて性格もピュアで
コメント
『メキシコ記念公園』行った事あります。
眺めがいいのであれば行きましたがそんな話しがあったんですね。
じぃじ、気分転換になったと思います。
子どもって無邪気で見てるだけでほのぼのしますから。
小倅ちゃんみたいに手を繋いで笑顔で隣にいてくれたら幸せです^ ^
トルコのエルトゥールル号の話は知っていましたが
メキシコとの間でも同じようなことがあったのは知りませんでした。
局長さんの話はいつも勉強になります。
小倅君は顔立ちも優しくて表情豊かで本当に可愛いです。
おとうさんもこんな可愛い孫と手をつないで歩いて心安らいだでしょうね。
局長さんの小さい頃を思い出していたりして。