8月6日の昼下がりに、こんにちは。
今日は広島に原爆が投下されて79年という忌まわしき日ですね。核保有国の元首の一人だけが戦争をしたがって実際に世界を混乱させていることが腹立たしい限りです。局長です。
─── 天然猫の寿喜が死去して、昨日で1週間が経過した。
嫁女房はこの1週間の記憶があまりないらしく、俺と同じように脳が無意識にこの件を思い出さないようにしているようだが、それでも寿喜の最期の様子が記憶の闇へと葬り去られてしまう前に、ちゃんと「記録」として残しておこうと思う。
【7月28日㊐までの記録】
日をまたいだAM 1:00過ぎ、パリ五輪の柔道男子66kg級の決勝戦で阿部一二三が技あり2つを決めて合わせ一本で金メダルを獲得したことを見届け、先に1階で子供たちと就寝している嫁女房にも結果をLINEしたところで、俺も床に就くことに。
寿喜が横たわるベッド(布団に縁が付いたもの)の真横に布団を敷き、寿喜の体に手を当てながら眠りに就いた。
体温の低下を防ぐため寿喜の体にはバスタオルを掛けており、呼吸の有無を目視で確認しづらくなっていたので、直に触れながら確認していたのだ。
翌朝は出張のため7時過ぎには家を出なくてはならなかったが、不安が大きかった。
帰宅予定の翌30日(火)の夜まで、寿喜は持ちこたえられるのか。
この時点で、寿喜は目は半開きなのだが、意識がないのか混濁しているのか呼び掛けにも反応してくれなくなっていた。
流動食を飲み込むことすらできなかったし、ずっと呼吸も浅い。
誰がどう見ても、この2ヶ月の闘病期間中でもっとも危険な症状である。
俺の中でも「出張中に逝ってしまうかもな・・・」と、かなり高い確率として予感していた。
「寿喜はまだ頑張れる!」と期待を込めることすらできないほど、その衰弱ぶりは深刻だった。
寿喜の呼吸を手から感じながら俺も眠りに就いたが、途中で何度となく目が覚めた。
そのたびに焦りを感じつつも、ちゃんと呼吸があることを確認して安堵し、再び眠るというサイクルを繰り返していた。
次に目が覚めると窓の外は明るくなっていたので、4:30~5:00といった時間帯だろう。
浅いながらも呼吸はあった。
一つだけ違ったのは、少しだけ動いた形跡があったこと。
俺が寝るときは1時の方向にあった頭の位置が、このときは11時の方向に。
俺が手を置いていた足の付け根からお尻にかけての位置は変わっていなかったので、上半身だけ少し動かしたのだろう。
暑くなってしまったのか、寝返りしようとしてできなかったのか。
「まだ頑張ってくれている」と安堵して再び眠りに落ち、次に目が覚めたのは 6:15。
寿喜のお尻付近に置いた手から呼吸が感じられなかった。
上がって下がってという腹部の動きが何もない。
慌てて飛び起きて寿喜を確認すると、半開きだった目がしっかり開き、口が開いていた。
それは、石像猫のにいぼんが逝ったときと、まったく同じ顔だった。
だからこそ、すぐに状況を理解できた・・・・
明け方、静かに息を引き取っていた寿喜に16年間を労うクリックを
コメント
局長さんも、嫁女房さんも良く頑張ってました。寿喜君も良く頑張った!!
局長さんのいる時に旅立てたのはせめてもの救いです。
偉大なる局長ファミリーは例えこの世と虹の橋のたもとで別れようとも、この偉大さは変わりません。
ことちゃん、局長さんの隣で、手の温もりを感じながら逝ったんですね。
温かかった事でしょう。
寂しくもなかったね。
局長さんが居る時を選んで旅立ったのかな。
最期まで幸せだったね、ことちゃん。
ホントに局長さんが出張に行く直前だったんですね。
今は天国で、元気だった頃の可愛い姿で『何にゃ?うにゅ』と言って背伸びしてるかな。涙
旅立つ瞬間を見せないようにしたのかな。
でも、パパがいる時に旅立つことにしたんだね。
最期の時まで大好きなパパの手の温もりを感じられて
コトちゃん幸せだったね。
コトちゃんが居なくなってしまったのが
まだ実感できませんが
まんまる顔のコトちゃんがやせ細ってしまった姿が辛いです
でも、余命宣告から二ヶ月も過ごしたコトちゃんは立派です
琴ちゃん お疲れ様 いっぱいいっぱい頑張って最期は局長さんの温もりを感じながらの旅立ち 親孝行だったね(o^^o)