新しい週に、こんにちは。
毎年言っていますが、普段は日テレを見ることが多いものの、あの24時間テレビだけは大嫌いな局長です。タレントが長距離を走る姿を見て勇気をもらえるもんですかね。
─── 先日の続きで、天然猫の寿喜が逝って初めての月命日を迎えた。
そこで、寿喜という存在について、および寿喜との16年間を振り返ってみようと思うが、その前に月命日を迎えた心境を自分の備忘録として文字化しておくことにした。
前回綴ったとおり、この2ヶ月間の闘病期間は「終活」として受け止めていたはずだったが、俺は途中で2回ほど欲をかいてしまった。
【前話のおさらい】
6月に入ると同時に絶不調に陥り、体重も減少の一途をたどっていた寿喜。
毎日の通院であれこれと検査を繰り返すも、「高齢による免疫力の低下」以外には説明がつかない状況が続き、尿毒症で入院したときのような処置ができないか確認した際には ───
病院で亡くなってしまう可能性が高いから
と、入院にすら難色を示されたことで、もう助からないことは覚悟させられていた。
同時に、「このままでは1週間の命」という明確な宣告も受けてしまったし。
これまでも、院長先生の余命宣告は正確だった。
石像猫にいぼんのときも、ポメラニアン真熊のときも、ほぼ告知されたとおりの日数で、2匹は奇跡を見せることもできずに逝ってしまった。
だから、言われたとおり「1週間」なのか、それとも1日か2日前後するのか、とにかく寿喜が頑張ってくれている時間が「終活」なのだから、家族でしっかりと向き合って送り出してあげよう ── と決意を固めていた。
それなのに俺は・・・・
鼻詰まりが解消して、苦しまずにちゃんと呼吸ができるようになって、再びしっかりと眠れるようになったとき ──
本能に従って籠っていた1階の一室から、再び2階リビングでの生活に戻ったとき ──
これまでも何度となく死の淵から蘇ってきた寿喜だけに、「今回も奇跡を見せてくれるのでは」と、急に「終活」モードから「復活」モードに気持ちがスイッチしてしまった。
自分から1階に戻ろうとすることもなく、病に伏す以前と同じように、ちゃんと家族との時間を過ごしてくれる姿を見て、「やっぱり今回もいつものお騒がせで、この心配も杞憂に終わるんじゃないか」という油断と淡い期待を抱いてしまったのだった。
つづく・・・・
家族の終活のために2ヶ月も頑張ってくれた寿喜に労いのクリックを
コメント
それはそうですよ。
少しでも良くなれば期待しちゃいます。
もう少し一緒にいられるのではと誰でも思うと思います。
先生の余命宣告は正確ではありましたが、今回はいい方に外れてくれました。
2ヶ月も頑張ってくれて先生も驚いていたのでは?
そこはことちゃんらしいです。
ポチボタンのことちゃん可愛い🩷
良くなれば期待するって私も思いますし、実際期待しました。
コトちゃんだから、きっと何か見せてくれると。
特に、眠れるようになった時にはこのまま回復するんだと思ってました。
2カ月も頑張ってくれてすごい子ですよね。
何回も蘇ってきたので、また復活するかも感を醸しだす奇跡の子でしたね。
サバを食べたり、ジャンプしてキャリーに入っていたり…。すばらしい生命力でした!
きっと兄ちゃんたちが
「コト‼まだきちゃダメッ‼」
と、言い続けてたんですね。