新しい週に、こんにちわ。
育休明けの先週一週間は、怒涛の如く過ぎていきました。局長です。
─── 4ヶ月が経過しても、今なお振り返りたくはない“あの日”のお話の続編を。
2月3日(水)の19:50頃。
呼吸がしばらく止まっては、数秒後に「ハァ~~~!」と苦しそうに息を吹き返すという、見るからに辛そうな状態のまま、何度となく戻って来てくれていた“にいぼん”こと石像猫のにいな。
【前話の振り返り】
しかし、19:54 ───
呼吸が止まったまま、ついに戻って来なくなってしまったにいぼん。
「にいぼん! にいぼん!」
何度も叫ぶも、10秒経っても20秒経っても戻って来ない。
「あああああああ!」
自分でも予想だにしていなかった大きな声で、只々泣き叫んでしまった。
二週間にわたる苦しみからようやく解放されたのだから、むしろ「良かった」と思うべきだし、ほんの数時間前まではそう思っていたのに、いざこうして虹の橋を渡ってしまったら、なんとか引き戻そうとしてしまう自分がいる。
どれくらい泣き叫んだろう。
ふと我に返り、にいぼんの体にブランケットを掛けてやり、ひとまず嫁女房に留守を頼み、財布を持って家を出た。
花を買いに行ったのだ。
自分が崩壊してしまいそうだったので、少し一人になって外の空気に当たりたかった。
近所のスーパーで仏花を買い、深呼吸をしながら精神を落ち着けて、家に戻った。
あとは粛々とにいぼんを送り出す準備に取り掛かる。
にいぼんの最後の専用ベッドとして組み立てたIKEAのベッドに寝かせ、ヨダレで汚れてしまった体をきれい拭き、ロウソクと線香を立て、布団を掛けて・・・・
そして、買ってきた花を飾った。
その後はひたすらにいぼんの体を撫でつづける。
柔らかい高級毛皮のような感触のグレーの被毛。
むっちりして気持ち良かったにいぼんの体は、この二週間ですっかり痩せ細ってしまった。
この日から嫁女房は臨月に入った。
本来なら「あと一月で赤ちゃんに会える」という幸せのピークにいるはずの我が家は、不幸のどん底に叩き落とされていた。
少しだけ安定してきたものの、ポメラニアン真熊だってまだまだ完全回復とは言えない段階。
「新しい命を一つ得るために、大切な命を二つも差し出さなきゃいけないのか!」
神がいるのかいないのか俺にはよく分からないが、そんな怒りすら口にしてしまっていた。
俺と我が家に多くの幸せを運んできてくれたにいぼんにクリックを
コメント
にいなちゃん、お疲れさまでした。
まぐちゃんもコトちゃんもわかちゃんも、
みんな遠くから見守っていますね。
やっぱりみんな覚悟ができていたのでしょうか。
診察台でぐったりしてるにいなちゃんを拝見した時、こんなに苦しそうなにゃんこちゃんは初めてだと思いました
それだけずっと耐えてたんですね
にいなちゃんの存在感…大好きでした
最後まで力の限り生きたにいなちゃん
ホントに小倅ちゃんとのツーショット見たかったです
ご冥福をお祈り致します
大好きな局長さんの声ずっと聴こえていたと思います。
にいぼん、最期まで頑張りました。
幸せな猫生だったと思います、間違いなく。
にいなくん、本当に頑張りましたね。
みんなに見守られ、大好きな局長さんの声を最期まで聴きながら、温もりを感じながら、虹の橋を渡ったことと思います。
嫁女房さんが用意された小倅ちゃんとのお揃いの靴下を見て、愛情と優しさに涙が止まりませんでした。
お揃いの写真、見てみたかったです…
局長さん、辛い記憶を形に残してくださり、ありがとうございました。
にいなくん、おつかれさまでした。
皆に囲まれていたことはわかっていたと思います。
わかちゃん、局長さんがにいなくんのために泣いて、お花を飾るところまでずっと見ていたのですね。
肩乗り猫になった心境の変化は、一連の行動への感謝があるのかも。
小倅ちゃんとのグレーのツーショットは見てみたかったと思います。
局長様
愛する、そして物言わぬ家族であるペットの看取りほど辛い事はこの世にはありませんね。
今日の記事から局長様のお辛い気持ちとなんともいえぬやるせない気持ちが伝わってきて、
泣けました。
いつまでもにいなちゃんの事を覚えていてあげて、
そして、思い出を綴ってあげる、それはにいなちゃんへの一番のご供養ですね。
これからも、にいなちゃんとの色んな思い出を聞かせて下さいね。
優しいお嫁ちゃんと、可愛い坊ちゃまがそばに居て良かった。
どうぞご自愛くださいね。
にいぼん、本当によく頑張りましたね。
きっとにいぼんはうっすらと最後まで局長さんがそばにいて、声をかけ続けてくれたこと分かっていると思います。
嫁女房さんの用意した子倅くんのグレーの毛皮靴下…
おそろい姿見たかったですね…
私もまだまだ涙が出てきます。
こうやってにいな君は旅立って行ったのですね。
みんなが周りで見守って、大好きなお父さんがすぐそばで名前を呼んでくれて
戻れるものならもう一度こっちに戻ってきたかったかもしれません。
でも、お父さんの心からの慟哭を聞いて虹の橋を渡る決心ができたのかも。
私は腕の中でコタローが動かなくなった時、何度も何度も名前は読んだけど
なぜか涙は出ませんでした。
突然の別れにピンと来ていなかったような気がします。
いつも使っていた座布団に寝かせて、自分は普通に朝ご飯を作って会社に行って
隣の席の女性にコタローが今朝死んじゃったと伝えた瞬間、初めて涙が溢れてきました。
午後半休を取って家に戻ってきて朝と同じように寝ている姿を見てやっと、
死んでしまったんだと現実を受け入れました。
好きだった耳の長い毛を切って紙に包んで今でも持っています。
グレーの毛皮風の靴下履いた小倅君とにいな君のツーショット、見たかったです。
にいぼんが逝った時、局長が泣き叫んだんですね…
止められないですよね。私も、止められませんでした。
30年以上も前のことですが、あの泣き叫んだことは今でも鮮明に覚えています。
どこかの国の教えで、
生まれたときは自分が泣いて、周りが笑って喜んでくれて
そして逝くときは、みんなが泣いて自分は笑って逝く
そんな人生を歩みなさい
と言うような教えがあると聞いたことがあります。
ちょっと違うかもしれませんが、みんなが泣いた分、にいぼんには良いニャン生だったって思っていて欲しいです。
しかし、今は、子倅ちゃんを筆頭に可愛い弟妹たちのニャコムで忙しくて、
「それどころじゃないにゃん❕❕」って、
言ってますかね❕❕
にいなちゃん
あなたは幸せだったね。
眠るまで局長ファミリーに見守られてお空に向かったんだもんね😢
大好きな家族をいつまでも見守って居てね。
小倅くんとのツーショット見たかったよ。
にいなちゃん、頑張ってくれてたんですね。
大好きなおうちで大好きな家族と最期迎えられて、一番大好きなお父さんのそばで旅立てたのだからそこは良かったと思います。
にいなちゃん寂しくなくいくことが出来たのですから。
昔、実家で一緒に暮らしてたワンコの最期を思い出しました。
もう10年以上経ちますが息を引き取る瞬間は今でも鮮明に覚えています。
あの子の最期の瞬間にいられて本当に良かったと思ってます。