新しい週に、こんにちは。
昨夜は日本が誇る歌姫・家入レオ女史の日比谷野外音楽堂(通称:野音)でのライブだったんです。4ヶ月ぶりの生歌は非常に良かったです。局長です。
─── さて、どうしても気持ちが後ろ向きになってしまうのだが、このお話も。
2ヶ月前のポメラニアン志熊の急逝について、経緯やお空へ送り出した件、さらには死因についても綴ってきたが、その“生涯”についても振り返っておくことにする。
真熊のケース同様に、近いうちに悲しい記憶で「蓋」をされてしまうと思うので。
“にいぼん”こと石像猫にいなが逝ったときも、その生涯の振り返り記事を綴ったので、同じように志熊の11年間の記憶を俺なりに辿ってみる。
- 第1部
- 第2部
- 第3部
2010年前後、最愛の真熊のDNAをこの世に残したいと思い、交配して子供を作ろうと考えていた俺は、実際に当ブログの読者でメスのポメラニアンを飼っている何人かと話をしていたものの、なかなか実現には至らずにいた。
だが、真熊が5歳になった年に運良くご縁が生まれ、晴れて3匹の子宝に恵まれることになり、その長男がのちの志熊だった。
2012年 9月3日のことである。
その4年前にオカンが急逝していた親父だが、さらに翌年には一緒にウォーキングをしていた友人も熱中症による急死で失い、完全に気持ちがふさぎ込んでいた。
日課にしていたウォーキングも止めてしまい、代わりに「家の中で運動する」とエアロバイクを購入していたが、精神衛生上は良くないなと感じていたので何度か犬を飼うことを勧めたものの、「年齢的に最後まで面倒見る自信がない」「毎日の生活は充実していて孤独は感じない」といったことを理由に頑なに拒まれていた。
確かにいきなり「犬を飼えと」と言われても「はい分かった」とはならないだろうが、これまでずっと可愛がっていた真熊の実の子となれば逆に喜ぶだろうと考えた俺は、引き取る予定の真熊の子を親父の元で育ててもらうことを(勝手に)決め、いきなり親父の元へと連れて行った。
事前に相談してしまうと、あれやこれやと理由を付けては断ってくることが想定できたので、あえて抜き打ちで決行したのだった。
その際の“すったもんだ”は、リアルタイムで綴ったとおり。
- 其の①
- 其の②
- 其の③
この“すったもんだ”を経て、唐突に親父の元で田舎暮らしをしていくこととなった志熊。
直前までママや兄弟、さらにはたくさんの成猫と仔猫たちに囲まれてにぎやかだった生活が、この日を境に人も車も往来しない静かな片田舎で、築100年超えの古民家で老人と二人きりで暮らすという、あまりに大き過ぎる変化に直面したわけだが、思いのほかすぐに順応したようだ。
以後、俺が親父宅へ行ったときでも、逆に志熊が我が家に来たときでも、俺のことなどあまり構ってくれずに、常に親父にベッタリな志熊の姿を見ていれば、日々どれだけ可愛がられているのかがよく分かった。
真熊なら、よその家に行ったり、あるいは我が家にお客さんが来ようものなら、俺の元になど一切戻って来ず、もうテンションMaxでその人に遊んでもらおうと大はしゃぎするというのに。
こうして、本人(犬)的にはなんら自覚はないだろうが、老人の心を癒し、健康をサポートするという大きな使命を、こんな小さな体に担ってしまった志熊。
2012年の暮れから始まった志熊と親父の幸せな毎日は、少なくとも親父が85歳になる頃までは続くと思っていたのだが・・・・
にぎやかな生活から静かな田舎暮らしに激変した志熊にクリックを
コメント
仔犬の時のしぐまくんは毛量が少ないので別人です。
しぐまくん=爆毛なので😆
しぐまくんすごく可愛い。ほんとに可愛い。
しぐまくんはじぃじ大好きなのがダダ漏れしてました。
そしてじぃじの可愛がりっぷりは聞いてて驚くほどでした。
しぐまくん用にドッグラン作ったり、ご飯を一粒づつ食べされたり、ブラッシングを丁寧にしてあげたり。
しぐまくんはじぃじの子どもで幸せでしたね❣️
志熊君がじぃじの子になるお話が大好きで、何度か読み返しました。
特に好きな場面は、局長さんがお風呂から出てきたら志熊君の姿が見えなくなってて
どこに?と心配したらじぃじの服の中からちょこんと顔をのぞかせていたところと
翌朝お隣さんが早速見に来たところです。
口ではあんなに渋っていたのに、志熊君の可愛らしさにあっという間にメロメロになり、翌朝にはお隣さんにうちの子になるって報告していたことに笑えました。
ふたりだけの生活がどんなだったのかな。
普段のイチャイチャぶりをちょっとのぞいてみたかったです。
久しぶりのマグちゃんの白目♡