週の真ん中に、こんにちは。
最終戦までもつれ込んだパ・リーグのCS争いは、当日までの順位どおり千葉ロッテに決まりましたね。前々から言っていますが、CS制度反対派の局長です。
─── また1週間以上も空いてしまったが、例のレポートの続編を。
そう、記憶が薄れてしまう前に残しておきたい、ポメラニアン真熊の“最後の戦い”の「記録」。
まだ完結していない、このレポートの途中で真熊の相棒“チップ”まで旅立ってしまった。
「余命1週間」の宣告を受けて9日目となる 2月23日(木)の朝、真熊は逝った。
病院で体をきれいにしてもらい、祭壇や仏花を用意したり、お世話になった人たちへLINEで訃報を送ったり、できればやりたくない作業に精を出し、夜からはとくに関係が深かった面々が弔問へとやって来てくれた。
21時頃には全員が引けたのだが、以降の記憶があまり残っていない。
そうこうしている間に時刻は日をまたいでおり、悪夢の 2月23日(木)が終わり、いつの間にか「余命1週間」の宣告を受けて10日目となる 2月24日(金)に変わっていた。
長い一日が終わった。
そこで、ペットミルクをお猪口に入れ、晩年によく食べていた『ムギムギ』などを一緒に祭壇に備え、俺はグラスにビールを注いで真熊に「献杯」することにした。
弔問客が誰もいなくなってしまったことで、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、心や精神が崩れ落ちてしまいそうだったので、酒でも飲まなきゃ自分を維持できなかったのだ。
悪酔いしたのか、それとも酔えなかったのかさえ覚えていないが。
この後、睡眠を取ったのかも定かではないが、とにかく真熊のそばから離れないようにしていた。
やがて夜が明け、天然猫の寿喜が目を覚まし祭壇の前にやって来た。
いきなり大量の花が現れたことに興味津々なだけで、真熊の死は理解できていない様子だ。
次に、小倅が起きてきて、嫁女房と共に朝ごはんや保育園の登園準備をしていたと思うのだが、何も覚えていない。
ただ夕方、保育園から帰ってきたときには、もう真熊の肉体はここにはないので、ちゃんとお別れをさせようと「まぬにバイバイして」と必死に伝えていたことは覚えている。
【小倅は真熊のことを「まぬ」と呼んでいた】
当時まだ1歳だった小倅に、真熊が死んだことなど理解できるはずもないが、それでも大切な家族がいなくなることの悲しさを共有してほしかったのだろう、俺は。
つづく・・・・
真熊を失うという最悪の一日が終わった我が家に労いのクリックを
コメント
お辛いことでしょうにレポートありがとうございます
小倅ちゃんも立派にお別れができましたね。良い子です
無理でしたら急がなくても良いんではないでしょうか
日々の折に触れて思い出すものも、あることです
まぐちゃん愛用の正装、浅葱色のだんだらも
よく見ると頻繁にお洗濯したあとがあり、『誠』の文字が
プリントでなく刺繍の縫い取りであったことに今気がつきました
本当によく似合って、局長さんを見上げる目が誇らしげでした
まぐちゃん、ありがとう。局長さん、ありがとうございます
小倅ちゃん、まぬにちゃんとお別れしてますね😂
手を伸ばしてまぐちゃんをナデナデしてる姿が何とも言えません。
生まれた時から一緒にいたまぬが帰ったら居なくなってるなんて寂しいです。
局長さんはまぐちゃんと2人の生活(猫はいるけど)が長かったから悲しみも深いと思います。
亡くなったその日、私は泣いたり娘と思い出話しをして笑ったりしたような気がします。夜は殆ど眠れなかったのを覚えてます。
小倅君、マグちゃんとちゃんとお別れできてよかったです。
記憶には残らないかもしれないけど、こうして記録には残ってますものね。
振り返った時、この日のことを見て何か感じるかもしれません。
この日の記憶がない局長さんだけど、マグちゃんのために
やらなきゃいけないって思いつく限りのことをしていたんじゃないかな。
こんなに愛してくれた父上に見送られるマグちゃんは本当に幸せですね。
小倅ちゃん、
最後にマグちゃんに
いい子いい子ができて、
お利口さんですね、
きっとマグちゃんは
局長さんの献杯に付き合ってたと思います