木曜日の昼下がりに、こんにちは。
プロ野球はまだ前半戦だというのに、阪神が独走状態で、挙句の果てにはリーグの貯金を独り占めしている事態。まさかの“1強5弱”の状況ですよ。局長です。
─── 2023年2月に最愛のポメラニアン真熊が亡くなって、早いもので2年以上が経過した。

その間の俺は、これまで何度となく綴っているとおり、死の直後こそ深い悲しみに心が壊れてしまっていたが、僅か1週間後には突然何も思い出せないようになり、以後は悲しみも寂しさも感じることなく今日現在に至っている。

真熊(まぐま)
局長家の黒ポメラニアン。♂
小さな子供や小型犬が大嫌いな器の小さな15歳。
2023年 2月23日(木)、15歳10ヶ月の生涯を閉じた。
☞ 詳しいプロフィール

俺はそれを「記憶の蓋」と称しているが、真熊と15年もの時間を一緒に過ごしてきたというのに、何も思い出せなくなっている。
思い出にも浸ってあげられないなんて真熊に申し訳ない ── とずっと感じているのだが、だからといって何かが変わる様子もない。

解説 「記憶の蓋」の症状
- 当時撮った写真を見返せば「そのとき何をしたのか」という“事実”だけはテキスト的に思い出せるが、映像やそのときに感じたことなどは何も思い出せない。
- 「真熊がいたらどうしていたかな」といった妄想の世界ですら、真熊の姿を思い浮かべることができない。
- 真熊と暮らしていた15年間はパラレルワールドのような存在で、自分はずっと犬なんて飼っていない現在の世界線で生きてきた感覚。
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先日、熊猫犬ファミリーとの“屋上飲み会”を2回ほど開催したが、その中で出る思い出話に触れたとき、今までは知らなかった「記憶の蓋」の“ある特徴”に気が付いた。
むらもやサヨちゃんから「こんなことあったよね」といった投げ掛けがあったとき、そのシーンは普通に思い出せるのだが、そこにいたはずの真熊のことだけが映像に出てこないのだ。

イメージとしては、真熊だけ強い“ぼかし”を入れられているような感じで、そこでの会話や印象はちゃんと映像として思い出せるのに、真熊の姿と、真熊に対して感じたこと・思ったことだけは消されている。
先週にも、改めてこの症状の重さを感じさせられることがあった。

嫁女房の田舎からメロンが送られてきた。
子どもたちが大好きなので、嫁女房が小さくカットして食べさせていたのだが、その際に俺に対して何気なく発した ───

まぐもメロン大好きだったよね
という言葉に大きな混乱を抱いてしまった。
真熊にメロンを食べさせたことが思い出せないのだ。

お皿に入れて与えたのか、手から食べさせたのか、ごはんのときに一緒に与えたのか、まったく思い出せない。
アライグマ千寿もメロンなどの果物が好きでよく食べさせていたのだが、そのシーンはいくらでも思い出せるのに、真熊のそれはいくら振り返ってみても記憶に到達できない。
2~3日ずっと思い出せずにいながら、そう考えるようになり嫁女房に聞いてみると、あるURLをLINEで送ってきた。

それがこれ。
紛れもなく俺が綴った当ブログの記事。

少し毒を吐きながら、読者の予想の裏側へ回り込もうとする、いかにも俺らしい文章なのだが、そこに写っている真熊のシーンも、綴られている状況も、1ミリも思い出せない。
なぜか、爪楊枝が真熊の喉に刺さらないように注意を払った記憶だけは思い返せたのだが、それ以外は何も。

石像猫にいなが逝った後も「記憶の蓋」が作動したが、1年半から2年くらいで少しずつ思い出せるようになってきた。
だが、真熊に関しては2年以上が経過しても、むしろ蓋が重くなったような印象で、記憶が蘇る兆しは微塵も感じられない。
3~4ヶ月ほど前だろうか、脳の奥底で真熊が「早く思い出して」と言っているような感覚に陥ったことがあった。

真熊が必死に「記憶の蓋」をこじ開けようとしているような。
それが1週間ほど続き、「ひょっとして真熊が俺の元へ戻ってこようとしているのか?」と思い、黒ポメのブリーダー情報を検索したりしていたのだが、ほどなくして収まってしまった。
以降は、また真熊に関して何も思い出せない日々に舞い戻った。

以前にこの「記憶の蓋」について綴ったときは、「その症状が理解できない」というコメントが多かったが、「まったく同じ症状」という意見も少ないながら確かにあった。
上述のメロンの件がきっかけで、この症状が今まで以上に気になってしまった俺は、もう少し詳しく調べてみることにした。
つづく・・・・
「記憶の蓋」とは俺のメンタル的なものなのか、俺だけに起きている事象なのか、一体・・・
コメント
私には分からない記憶の蓋ですが確かに他の人でいらっしゃいましたよね。
脳の不思議な事象なんでしょうが何故なのか本当不思議です。
モヤがかかったみたいなんてどうしてなのか。
にいぼんの事は思い出せたんだからきっと大丈夫だと思います。
まだその時じゃないのかな。
局長様こんばんは。
いつもながらの局長様のペットに対する愛の深さに感心しています。
記憶の蓋というのは、わかりませんが
たしかに愛した人や可愛がっていたペットを亡くした時に、
その時の葬儀やお通夜、見送った場所など記憶から全く消えてしまうことがあります。
散歩していた公園や季節は覚えていても
その時々のエピソード記憶は全く頭から、消えて無くなっていて
本当に覚えていたい思い出や感覚が無くなっていて
それを身近な人に思い出話として語られると
ああ、飼い主の私が覚えていないなんて・・・
私は、愛したペットの思い出は、記憶しているはずなのに・・・
と、落ち込むこともありましたね。
にいなちゃんも、まぐちゃんも、千寿ちゃんも、局長様に愛されてとっても幸せでしたね。
局長さんのマグちゃんへの愛情が深すぎて
記憶の蓋が厚くて重いものになってしまっているんだと思います。
マグちゃんが元気な時は、とにかくマグちゃんファーストでしたよね。
なので、今まだ思い出せなくてもマグちゃんは怒ってないですよ。
父上、ボクのことはゆっくりゆっくり思い出してください。
ボクは今でも父上のこと大好きだし忘れてないから大丈夫です。
って言ってるような気がします。