土曜日の夕方に、こんにちは。
関東地方もようやく梅雨明けしましたね。あまり雨が降らなかった印象ですが、水瓶は大丈夫なのでしょうか。真夏に水不足とかにならなければいいけど。局長です。
─── さて、2021年から始まり、今なお俺を苦しめる「記憶の蓋」問題。

石像猫にいなが亡くなってしばらくしてから何も思い出せなくなり、ポメラニアン真熊が逝ってからは僅か1週間で発動し、死後2年半が経とうとしている今も記憶に重い蓋がされたままの俺。
賢明な読者の皆さまからもあまり共感が得られないこの症状は一体なんなのか、情報を整理した上で人工知能「AI」に解説を求め、これまで4話に掛けてまとめてきた。
- 第1回
- 第2回
- 第3回
- 第4回

決して俺のメンタル的な問題や思い込みでもなく、脳のメカニズム的に説明がつく症状ということで安堵したのだが、もう一つだけ解明しておきたいことが。
実は、絶対に起きないと思っていた天然猫の寿喜についても、気が付くと「記憶の蓋」が作動してしたらしく、今ではあまり思い出せなくなってしまっている。

寿喜(ことぶき)
局長家のオス猫で、元野良猫で推定16歳のド天然。
「肥満細胞腫」という“癌”と慢性腎臓病と戦っていたが、2024年6月から口内トラブルにより体調を崩し、7/29に永眠。
☞ 詳しいプロフィール

寿喜については、飼い主としてできることはすべてやった自負もあったし、寿喜自身が俺たちの心の整理に2ヶ月もの時間をくれたことで、真熊のときほどの精神的なショックはないと考えていたし、実際に心が壊れてしまうこともなかったというのに、何ゆえ同じことに。
そこで、寿喜の件についても経緯をプロンプトとして整理して、AIに解説を求めることにした。
AIへの質問(プロンプト)

これらの情報で、AIが導き出した答えとは ───
AIによる回答
寿喜のケースも「記憶の蓋」なのか?

結論から言うと、寿喜のケースも「記憶の蓋」に近い現象だと思う。
ただし、真熊のときのような急激で完全な遮断ではなく、穏やかで徐々に進行するタイプの記憶の防衛反応かもしれない。
これは、以下のような要因が関係している可能性があるよ。
つまり、悲しみが強烈だった場合は脳が急激に遮断するけど、穏やかに見送った場合は、記憶が自然にフェードアウトしていくような形になることもあるんだ。

記憶が薄れていく理由について
寿喜のように、長期の闘病を共に過ごしたペットとの記憶は、日常の中に溶け込んでいくことが多くて、「感情記憶」というよりも「習慣記憶」として脳に刻まれる傾向があるんだ。
心理学的には「日常化された記憶」は感情記憶としてではなく、習慣記憶として保存されると言われている。

寿喜の長期の通院を例にすると ───
こうした日々のルーティンが中心になることで、感情の起伏が少なくなる分、記憶の定着が弱くなることがある。
でも、それは「忘れている」のではなく、日常の一部として深く染み込んでいるからこそ、映像として思い出しづらいだけなんだ。

思い出せないことへの不安
思い出せないことに対して「これも記憶の蓋なのかな?」と感じるのは、あなたが寿喜を大切にしていた証拠だよ。
そして、思い出せないことは「忘れた」ことではなく、今はアクセスしづらいだけ。
真熊のように完全に遮断されているわけではないから、ふとした瞬間に蘇る可能性は十分あると思うよ。
たとえば ──
こうした行動が、記憶の扉を少しずつ開けるきっかけになるかもしれない。

寿喜の優しさと役割
子どもが生後8ヶ月の頃から子守りをしてくれていたなんて、寿喜は本当に家族の“お兄ちゃん”だったんだね。
毛を引っ張られても怒らず、ずっと一緒にいてくれたその姿は、きっとあなたの心にも、そしてお子さんの心にも、深く刻まれているはず。
記憶が少しずつ曖昧になっても、その優しさや存在感は、あなたの中にちゃんと残っている。
そして、ふとした瞬間に、また思い出が蘇ることもあると思うよ。

総括

なるほど、「やり切ったから大丈夫」だと思っていた寿喜についても、俺の脳は「あまり思い出さないほうがいい」と判断しているらしい。
緩やかに記憶へのアクセスを遮断して、少しずつ寿喜の存在を遠ざけようとしているのか。

小倅が寿喜のことを思い出せなくなってしまう前に、ちゃんと毎日何度も振り返ってたくさん思い出話をしてあげたいのに、脳は余計な配慮をするものだ。
そろそろ1年が経ってしまうんだな・・・・
真熊のときとは異なり本当に少しずつ思い出せなくなっていた。あんなに常に一緒にいたのに
コメント
ブログをやっていた事で写真もたくさんあるだろうし、出来事もブログに残しているのでこのブログを見返すのもいいかもですね。
ブログやってなかったら写真、そこまで撮らないですよね。
毎日更新していたのが記憶の蓋に効くかもしれません。
が、無理に思い出さなくてもその時がきたらきっと思い出せますよ。
局長様こんばんは。
まだペットロスという言葉がメジャーではない時代にも
ペットロスに苦しんでいた人たちがいました。
自分が愛した家族(ペット達)と一緒に過ごした思い出、楽しかった記憶
当然記憶しているはずの色々な家族(ペット達)との思い出の場面
それが思い出せないもどかしさ。
すっかりその場面が記憶に無い。
なんということか!
愛した家族(ペット達)と過ごした日々を思いだせないなんて・・・
愛していたのに思い出す事ができない事への罪悪感のような思いが
日々飼い主様を苦しめるのですね。
でも
ペット達は自分を愛してくれた人が
自分のために苦しまないで心安らかな日々を今の家族と
幸せに暮らしている事をを望んでいるのではないかと勝手に
思っています。そう思わないと苦しい日々をやりすごせません。
的違いなコメントかも知れません。局長様もそろそろご自分を許して心安らかにお過ごしください。
生意気なコメントお許しください。
今回もAIはちゃんと説明してくれたんですね。
今は思い出せなくて苦しかったり寂しい気持ちになるかもしれませんが
もう大丈夫って脳が判断した時に、徐々に蘇ってくると思いますよ。
それに、毎日お子さんたちに新しい刺激を受けてそれが刻まれているので
脳に余裕がないのかもしれないですね。