連休明けの昼下がりに、こんにちは。
小倅の手足口病が未だ治らず、数え切れないほどできてしまった口内炎が痛くてたまらないらしく、ものが食べられる苦しんでいます。局長です。
─── さて、一昨日の続きで「ポメラニアン志熊の急逝」の件を。
1月11日(木) 16:45。
親父が外出先から帰宅すると、いつもの定位置で舌を出して亡くなっていた志熊。
蘇生を試みたもののダメだったという親父からの電話連絡で、我が家もいきなり悲しみのどん底に突き落とされた。
親父はまだ気が動転しているのか ───
- 「一人で逝かせてしまって可哀想なことをした」
- 「俺が先に逝って一人にさせちゃうことがなかっただけが救い」
- 「11歳は早い。想定していなかった」
などとは口にするものの、とくに狼狽する様子はなく、声は比較的元気に聞こえた。
何よりも、志熊の亡骸が痛まない、きれいなうちに送り出してあげたいとばかり繰り返す。
アライグマ千寿・石像猫にいな・ポメラニアン真熊が逝ったときの俺の憔悴ぶりとはあまりに異なる気丈な様子に、少し違和感を覚えた。
ペットを飼うのは初めてだった親父は、当然だが火葬業者などの知見がなく、少し前に地域の人から偶然聞いていた出張火葬の会社をタウンページで探すとのことだったので、代わりに俺がネットで検索することに。
とはいえ、いかんせん外房の片田舎。
地域に根付いた会社が本当に少なく、2社しかない。
他のエリアを拠点としながらも、親父の住む地区へも委託契約している業者を向かわせる ── というスタイルの会社は何社かあったが、クチコミ評価のバラツキが大きかったので、やはり地元の2社から選択することにし、俺の都合も含めて日程を調整。
結果として、親父宅へ火葬車で来てもらう形で 1月13日(土)の13時から火葬することになった。
併せて、棺に入れてあげるべきものを電話で伝える。
親父のニオイが付いたもの、親父との写真、好きだった食べ物、御花・・・・など。
あるいは志熊の死を脳が上手に受け入れられていないのか、結局親父は電話中も終始いつもどおりの様子だった。
率直に表現するなら「あっけらかんとした様子」といった感じに。
その後、親父は依頼した火葬業者から指示されたとおりに、暖房の効いていないオカンの仏壇がある部屋に志熊の亡骸を移し、保冷剤で体を冷やし始めた。
親父は大丈夫なのか、電話からはどうにも本心がうかがえず、嫁女房と苦悩するばかりだった。
翌12日(金)、俺は志熊の棺に入れる写真を印刷すべく、いい写真をピックアップしたり、親父が部屋に飾れるよう写真立てを買いに行ったり、棺に入れる御花を探したりと粛々と奔走していたものの、頭がまったく回らず放心状態が続いた。
一方の親父は、上述の業者から「保冷剤よりもドライアイスが最適」と聞かされていたため、スーパーや魚屋を回って入手していたらしい。
親父の心情は分からなかったが、俺は只々「無」だった・・・・
お別れも言わずに突然旅立ってしまった志熊に哀悼のクリックを
コメント
しぐまくんの亡骸を綺麗なまま送り出したい…
この事だけを考えて、やるべき事を、やることだけを考えていたのかもしれないです。
私も動物を飼った事がなく、犬が亡くなったら何をするのか分からず犬友に聞いたりお花を準備したり部屋をクーラーで冷やしたりとやるべき事をやっていました。
が、夜になるとやるべき事もなく隣に寝てるちゃちゃを見ては泣いていました。
ちゃちゃの場合はまさか亡くなるとは思ってもなかったのは一緒でしたが、体調は悪かったので、しぐまくんみたいに朝は普通だったのに突然なんて、どうして何故って気持ちが大きいですよね。
亡骸を移動したりドライアイスを準備したり、お父様の気持ちを思うと苦しいです。
コタローを失った時も突然だったので、その時の自分を思い出してみると
やっぱり妙に冷静でした。
涙も出ずにやらなきゃいけないと思ったことを淡々とこなしていました。
現実に起きたことがうまく受け止めきれなくて、感情が追い付いていない状態。
この時のお父様も、もしかしたらそんな感じだったのかもしれません。
目の前から姿が消えた時、やっと現実を受け止め感情が追い付いてきました。
ずっと一緒に暮らしていたからこその反応だったのかなと思います。
局長さん、嫁女房さん、そして、お父上様の心中お察し申し上げます。
何と言ったらいいのか、言葉が見つかりません。
志熊君が、虹の橋のたもとでパパや先に行った子たちと仲良く遊んでいることを願ってやみません。お父上様のお身体、少なからず心配です。
突然に志熊くん何の前触れもなく逝ってしまってお父様の心が着いて行けずに淡々としていたのかなと思えてなりません今はただ悲しみの真っ只中だと思うと辛いですが、どうか少しずつでもお父様が元気になりますように願っています。