花金の昼下がりに、こんにちは。
数日前にようやくインフルエンザの予防接種を受けました。これで無敵の体を手に入れたはずですが、なぜかここ数日喉がイガイガしている局長です。
─── さて、少し空いてしまったが、例のレポートを再開。

そう、2018年から再開した「第二次・家づくり計画」新シリーズの続編。
憧れのRC造(鉄筋コンクリート造)を諦め、工法を「重量鉄骨造」に方向転換後、静岡県が本社ながら横浜支店がある某住宅メーカーとの間でプランニングが始まり、間取りや外観は固まったものの、その裏側に潜む気密性・断熱性に関する課題や、予算と見積価格との隔たりという新たな壁にぶつかっていた。

すると、営業担当から「本社でウチの社長と直接値引き交渉をしてほしい」という驚くべきお願いをされ、近隣のモデルハウスを2軒見学させてもらったところで、いざ本社へと乗り込んだ俺。
意思決定者である社長の他に、設計部長、施工管理部長など、各セクションの責任者が勢揃いしており、さっそく協議が始まったのだが、ここでまた新たな驚きを与えられることに。
【前話のおさらい】
【営業担当から社長への直談判を打診されていた】
普通なら営業担当が仕切りって協議を進めていくものだが ───


では局長さん、どうぞ
という一言を発しただけで、あとは俺に丸投げ。
これまでの打ち合わせ経緯を与件として説明することもなければ、支店や営業担当としての意見を述べることもない。
俺が自ら印刷して持参した資料を元に、仕事のプレゼント同じテンションで進行していた。

「こういう家を建てたい」
「この仕様は譲れない」
「この価格に収まらないと依頼できない」
ということをすべて説明したところで次は彼らの意見を聞くターンになったのだが、社長は営業担当が自ら説得することを諦めるだけあって、確かに横柄な態度だった。

「お願いを聞いてやる立場」といったマウント感で、逆に俺が「どうか私の家を作ってください」といったポジショニングにされているようなやり取りとなり、どこまで下手に出るべきかと内心ではストレスが急上昇していた。
幸いにも、設計部長や施工管理部長は顧客(施主)に対する然るべき応対だったので、そこだけは救われた。
結果、彼らからの提案内容としては、主に以下のとおり。

予算を下げるために、重量鉄骨で柱と梁の骨組みを組んだあとは、外側に鉄骨胴縁による下地を組む従来の方式ではなく、スタッド(柱)間に構造用合板(木材)で下地を作り、その外側から断熱材を貼る形で外断熱工法を実現し、さらに断熱材の外側から通気胴縁とサイディング(外壁材)で仕上げる ── という鉄骨造と木造の折衷方式。
【一般的な重量鉄骨造の外断熱工法はこういった構成】

やはり重いALCパネルを固定する方法は見出だせないのとことで、木材の下地に断熱材の上から通気胴縁を固定して、その通気胴縁にサイディングを留めるという、木造での外断熱工法と同じ仕上げ方法をするという。
但し、耐火性の強いALCパネルは諦めなければならない、断熱性と耐火性のトレードオフ提案である。

大地震のあとにやって来るのは火災。
サイディングというのはもっとも一般的な外壁材なので、住宅火災に見舞われた家にも普通に使われている。
よって、燃えやすいわけではないが、火災に耐えられるものではない。

俺がこだわっているALCパネルは、阪神淡路大震災でも周囲の家が焼け落ちる中、ぽつんと一軒だけ燃えずに残るほどの耐火性能をもつ外壁材なので、「はい分かりました」とはいかなかった。
この焼け残った家こそ、俺が憧れることになったヘーベルハウスの堅牢な家である。

結局、お互いに「要検討」ということに。
彼らは「外断熱工法でALCパネルの外壁」を実現する別案を、俺はこの提案で妥協できるかを再検討するのだ。
そして社長は、これらの改善案なども含めた上で、俺の要求する金額まで値引きできるかを検討。

こうして、営業担当が助け舟を一切出さないまま協議は終了。
お互いに難しい宿題を持ち帰る形になったが、少しくらいは前進できたかなとポジティブに考えながら静岡駅へ送ってもらい、新幹線に乗り込んで帰路に就いた。

当時まだ1歳にも満たなかった小倅は、帰りの車内では完全に覚醒してしまっていたが、とくに騒ぐこともグズることもなく、人生初の新幹線体験の復路を楽しんでいる様子だった。

小倅(こせがれ)
局長の息子で、“人間”では長男。
2021年3月4日生まれの4歳。※当時は生後9ヶ月
『きかんしゃトーマス』にドハマり中の保育園児。
☞ 詳しいプロフィール

そして帰宅後、打ち合わせに出席された方々全員を宛先にした御礼メールを送信するも、翌日もそれ以降も誰からも返信もリアクションもないことに、また新たな驚きを得た。
やはり顧客として見られていないのか、それともビジネスマナーを理解していないのか、ひょっとしたら社会人としての自分の常識のほうが間違っているのではないか ── とさえ考えてしまう一日だった。
いい会社なのかどうなのか分からなくなることが多い時間だった。答えはいずれ分かるのだが






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