天皇誕生日の昼下がりに、こんにちは。
三連休の初日だというのに、関東から西はあいにくの空模様ですね。小倅が家の中で退屈のあまり爆発気味で困っている局長です。
─── さて、本日は 2月23日。
最愛の息子であったポメラニアン真熊が、俺の腕をすり抜けて虹の橋を渡ってしまったのが、昨年のこの日。
そう、真熊が15年10ヶ月の生涯を閉じてから本日で1年が経ったのだ。
初めての命日である。
この1年は俺にとって早かったのか遅かったのか。
後者だろうか。
嫁女房と「まだ1年?」と驚いたくらいだ。
気持ち的には、もう5~6年が経過したような感覚なのだ。
ほんの365日前まで真熊と一緒に暮らしていたなんて、どうにも信じられない。
下手すると「犬を飼っていたのなんて10年くらい前」といったようにすら感じてしまう。
それくらい真熊との日々が遠い思い出のようになっている。
新居に引っ越したり、“小童”が産まれたりと、生活環境があまりに大きく変わったこともあるのだろうが、きっと何よりも、悲しさで心が壊れてしまわないよう、脳が真熊との記憶に「蓋」をしたことが原因なのだと思う。
【現在は真熊との記憶に「蓋」をされたような状態】
真熊が元気だった頃の楽しい記憶がまったく思い浮かばないから、すべてが遠い過去の出来事のように感じてしまうのだ。
今から15年前の2008年11月、アライグマ千寿が急逝したとき、俺はとんでもないレベルのペットロスに苦しんだ。
当時、もう“にいぼん”こと石像猫にいなもいたし、7月には真熊も家族に加わっていたので、寂しさは幾分緩和されているはずなのに、それでも千寿がドアをガリガリ引っ掻く音が幻聴のように聞こえたり、千寿のニオイがしたり、家を出るたびに千寿が外を眺めていた窓を見上げてしまったり ── といった症状が1年以上は続き、その間はずっと悲しみも消えなかった。
あのダメージがあまりに大き過ぎて、脳が学習して自己防衛のために生み出した新たな機能が「記憶の蓋」なのだと思う。
にいぼんが逝った際に初めて作動したのだが、このときは知らず知らずのうちに少しずつ蓋がされていった感じだ。
喪失感に苛まれていた死後2~3ヶ月くらいの頃から「あれ? にいぼんって本当にいたんだっけ?」と記憶が混同することが増え、次第ににいぼんの元気な頃の姿が思い出せなくなっていったのだ。
そして、2年後に起きた真熊の死。
今回は早々に蓋が機能して、死後わずか1週間で何も思い出さなくなってしまった。
千寿、にいぼんとペットロスの経験を得て、脳がさらに学習したのだろう。
「こいつは完全に記憶を遮断してやらないとダメな人間だ」と。
そんなこんなで、真熊の死から1年が経った節目の今日も、悲しみとも寂しさとも無縁な状態で過ごしている俺。
この現象がいいんだか悪いんだか判断がつきづらいが、なんだか自分がとても冷たい人間のようにも感じてしまうのだ。
つづく・・・・
たくさんの思い出をくれていたはずの真熊に哀悼のクリックを
コメント
まだ1年なんだ、と思いました。
なんだかもっと前のような気がしますが、まだ1年なんですよね。
確かに一年前は晴れが続いてました、今日は冷たい雨が降って本当に心底寒いです❄️
まぐちゃんの事忘れた日はないです。
ココに来るとまぐちゃんがいつも見られるし、赤いお散歩バックで散歩してるし。
大好きなまぐちゃん。ずっと忘れないよ!
本当に可愛いんですよ、まぐちゃんって。何でこんなに可愛いのか不思議な位可愛いんです。
局長さんも可愛いまぐちゃんを思い出せる日がきっときますよ。
まだその時ではないだけだと思います。
真熊君、今は自由にお空を駆け回っていると思います。
そして、千寿君、にいな君、志熊君といっしょに千葉のおじいちゃんの家に行ったり
子倅ちゃんや小童ちゃんのお布団に潜り込んだり自由に楽しく毎日を過ごしていると思います。
私は、もう1年経ったんだと思いました。
コトちゃんもわかばちゃんも可愛くて大好きだけど、
私にとってマグちゃんはいろいろな意味で本当に特別な存在です。
マグちゃんがサムネイルに登場すると、今でもそれを見た瞬間
マグちゃんが生きていた時と同じような感情が湧き上がってくるんです。
局長さんが冷たい人間?とんでもない。
局長さんがマグちゃんをどれほど可愛がっていたか、
マグちゃんが父上をどれほど好きだったか、
局長さんが思い出せなくても、ここに来る人みんながちゃんと覚えていますから。
うちの最後の犬だった『てんてん』は、まぐちゃんが逝って8ヶ月後の10月25日に亡くなりました。まだ4ヶ月しか経ってないのに、もう数年が過ぎたように思います。
書かれている局長さんのご心境が痛いほど伝わります。日常のなかに埋もれていく『悲しみ』、に対する罪悪感もよく解ります。
私は、悲しくてどうしようもないときは、「人間だって歳をとり、病気になり、死んでいく。寿命の短い動物が果てるのはごく自然なことなんだ」と、自分に言い聞かせています。
まぐちゃんの命日に、このように局長さんが綴ってくださって、皆で思いを馳せる、とてもあたたかく素敵なことだと思います。