お盆休みの最終日に、こんにちは。
休みに入る際は「あれもやって、これもやって」と計画していたのに、結局は9日間でやったことといえば千葉の親父宅行きと台風対策、昨日の大会くらいでした。局長です。
─── さて、2ヶ月間も必死に戦った天然猫の寿喜の最期を「記録」に残す取り組みの続編を。
7月29日(月)の早朝に息を引き取った寿喜。
翌30日(火)は、俺が出張を半日で切り上げて帰宅し、夕方からペット葬儀場でお空へ上げる予約を取っていたので、保育園に行く小倅はこの日の朝に寿喜と最後のお別れをすることになった。
【前話のおさらい】
正午を回ったところで ───
無理を言って午後半休を取らせてもらった俺は出張先を発ち、帰路へ。
どうやっても片道2時間ほど掛かってしまうのだが、乗り継ぎもダッシュして、なんとか最短時間で自宅に戻れるよう奮闘していた。
そして14:30前に帰宅。
最寄り駅から自宅までワンメーターながらタクシーも使って、なんとか物理的に可能な最短時間で戻ってくることができた。
15:30には自宅を発たなければならないため、それまでの時間で ───
今度は寿喜にも、この家とのお別れをさせてあげることに。
まずは、元気な頃はよく寝そべっていたカリモク60の「Kチェア」ソファーの上に乗せた。
処分してしまった赤いソファ以来、久しぶりのソファに寿喜も嬉しそうにくつろいでいた。
ここに俺が寝そべると、お腹の上に。
最後の2ヶ月間は、この高さにジャンプすることもできなくなってしまったな・・・・
次に、キッチンのカップボードと冷蔵庫の間に置いてある台の上に。
なんでこんな場所に?といった印象を受けると思うが ───
実は寿喜、この上に佇んでいることが多かったのだ。
嫁女房や俺がキッチンに立っていると、この上に乗りながらその様子を眺めていたり。
寿喜なりに、落ち着く場所だったらしい。
さらに、こんな場所にも。
1階ホール。
寿喜が自ら籠っていた一室と階段を結ぶ場所だが、ひょっとしたら寿喜にとっては辛い思い出しかない場所かもしれない。
それでもこの2ヶ月間の闘病中は、自らの足でこの場所に出てきてくれることが、寿喜の調子のバロメーターにもなっていたのだ。
最後はこの場所に ───
寿喜が1ヶ月近く籠っていた1階の一室。
2階のリビングでの生活に戻ってからは、元々この部屋を勝手に使っていたツンデレ三毛猫の稚葉が再び居座っているのだが、場所にも稚葉にもお別れを。
ホール同様、あまりいい思い出がない場所にも思えるが、必ずしもそうではないはず。
闘病中にも綴ったが、この場所は解体した旧宅で寿喜が石像猫にいぼんたちと一緒に、よく日向ぼっこしていた場所でもあるのだから。
芝生も張ったので、見える景色は当時のまま。
しかし稚葉はというと、やはり期待していたお別れはしてくれなかった。
猫特有の死生観やルールに則ったお別れはすでに済ませているからだろうか、予想はしていたが見向きもしてくれなかった。
仕方のないことだが、“最後の相方”なのだから、せめて「じゃぁね」くらい言ってほしかった。
【猫には特有の死生観があるらしい】
こうして寿喜は、住み慣れた自宅とのお別れを済ませ、出発した。
新居で暮らしたのは10ヶ月に過ぎなかったが、15年半もこの場所で暮らしてきたのは事実。
ここでの生活は、お前の人生(猫生)にとってどうったんだ?
幸せだったのか? 楽しかったのか?
15年半にわたり住み慣れた自宅から出発する寿喜に惜別のクリックを
コメント
言うまでもなく、幸せだったに違いないじゃないですか!
幸せで楽しかったのは間違いないです❗️
喧嘩もしたけどいい思い出ばかりですよ❗️
楽しかったです😁 と聞こえました
間違いなく幸せなにゃんこライフを送りました!局長家で。
創設メンバーと小競り合いながらも何だかんだ仲良くくっついて、局長さんや嫁子さんに愛され、お返しの?子倅ちゃんの子守と、幸せな生涯を全うしたと思います!
『ありがとうにゃ』と聞こえるようです。
私にも聞こえましたよ、ハッキリと。
「何言ってるにゃパパ。楽しくて幸せだったに決まってるにゃ。
変なこと聞くと、文句言いに出てきちゃうにゃ!」って。
幸せだったに決まってます。
局長さん、信じましょう。