7月最終日に、こんにちは。
確か漫画家“たつき諒”による例の大災難の予知夢って「7月中に起きる」と訂正されましたが、つまり今日までということですよね? 昨日の津波のことじゃないですよね。局長です。
─── さて、一昨日の 7月29日(火)で、天然猫の寿喜が逝って1年となった。

あの毎日の動物病院通いで右往左往していた日々には、あっという間の1年という実感ながら、寿喜と過ごした日々については20年くらい昔のことに思えるような、なんとも不思議な感覚に陥っているのが現在の俺の状況。
【前話のおさらい】

寿喜(ことぶき)
局長家のオス猫で、元野良猫で推定16歳のド天然。
「肥満細胞腫」という“癌”と慢性腎臓病と戦っていたが、2024年6月から口内トラブルにより体調を崩し、7/29に永眠。
☞ 詳しいプロフィール

とくに、この新居での寿喜の記憶といえば、“最後の戦い”となった昨年6月から7月にかけての2ヶ月間におよぶ闘病中の様子のみで、写真で見る丸々とした容姿ではなく、やせ細って衰弱した姿しか思い出してやることができない。

画像フォルダで過去の写真を振り返ってみると、とにかく“撮れ高”が良くて、常にツッコミどころ満載の行動をしているのだが、そういった楽しかったはずの記憶を思い出すことができず、なんとも歯がゆさと申し訳なさに駆られる日々である。

寿喜と相思相愛だった嫁女房に、1年が経った現在の気持ちを聞いてみると、毎日思い出さないことはないという。

小童が泣き喚いているときとか「こっちゃんがいれば」って思っちゃう。
きっと一緒にいてあげて落ち着かせてくれるんだろうなって。

小童は、嫁女房が家事をしているときなど、且つ俺も小倅も相手をしてあげられず「柵」の中で一人にされているときは、決まって大声で泣き喚く。
一人で遊んで待つことができないのだ。

一方、同じ1歳当時の小倅の場合はというと、決まって寿喜が自ら「柵」の中に入って一緒にいてくれていたので、とくに泣くこともなく、むしろ楽しそうに過ごしていた。
この経験の有無は、今後の2人の成長過程においても、何かしら大きな違いをもたらすのではないかと考えてしまう。

それはさておき、「記憶の蓋」という脳の防衛本能により寿喜のことを思い出してあげられない俺だが、それでも毎日「寿喜と一緒に生きていた」ということを実感できる瞬間もある。
何か作業をしている際に、否が応でも目に入ってくるこの右手首の傷だ。

これは、2008年に寿喜が我が家に来た当初、去勢手術をしたことで抗生物質を数日間飲ませなければならず、それを必死に拒む寿喜の爪でえぐられでできたもの。

その1年後である2009年時点では、縫合跡のようなこんもりとした傷跡になってくっきりと残っていたが、16年が経過した2025年の今でもそれは消えていない。

当時も綴ったが「家族になった証」、「寿喜と過ごした印」のようで、むしろ目に入るたびに誇らしく思っている。
きっと死ぬまで残る傷だろう。

こうして、寿喜が去ってからの1年間を、それぞれがいろいろな思いを抱きながら過ごしてきた我が家だが、今後も寿喜と共にした時間に感謝しながら生きて行くのみ。
たまにでいいから夢に出てくるくらいしてほしいのだが・・・・
この先あんな変わった猫に出会うことはないんだろうな。夢の中でもいいから会いたいんだが
コメント
結構な跡が残っていたんですね。
振り返り記事で当時の傷みたけど確かに盛り上がって痛そうだけどまさかこんなに残るとは。
ことちゃんがいた証ですかね。
薬飲ませるのにそんなにてこずらせてくれてたとは。
引き取るきっかけとなったお話は何度見ても面白いです。
お隣のおばあちゃんナイスです、突っ込みどころ満載だけど😆
あの穏やかなコトちゃんが、薬を飲みたくないってそんな抵抗したなんて。
局長さんの体に爪痕を残したくてわざとやった・・・なんてことはないか。
天然コトちゃんがそんなこと考えませんよね。
私も過去記事を読んだのですが
コトちゃんの本名の寿喜って、コトちゃんにピッタリの名前だな~って
改めて気づきました。
おめでたくてみんなを喜ばせてくれて、本当に名前のような存在でしたね。
愛の証の爪痕を残して逝くなんて
ことちゃんは並みの猫ちゃんじゃないですね。
局長様は飼い主冥利につきますね。