土曜日の夕方に、こんにちは。
CS戦を控えるこの時期に、巨人・菅野が海外FA権によるメジャー挑戦という報道に、菊池桃子がロックバンド「ラ・ム―」結成を発表したときくらいの衝撃を受けている局長です。
─── さて、またも1週間ほど空いてしまったが、“あのお話”を再開。
今年1月に急逝したポメラニアン志熊の“生涯”について、真熊のケース同様に悲しい記憶で「蓋」をされてしまう前に、振り返って記録を残しておこうという件。
念のため、ここまでのおさらいを。
ここまで、志熊が親父の元で暮らすことになった経緯、俺から見た習性と特徴、俺が感じる性格、そして外房の片田舎でどんな生活を送っていたのかを綴ってきたが、そろそろクロージングを。
志熊はとにかく可愛かった。
「食」に興味が一切ないのに、なぜか真熊よりも大きい、太った瓜みたいな“くびれ”もない体型に仕上がり、それでいてマズルが極端に短い。
真熊もマズルが短くてタヌキ顔だったが、志熊のそれはペギニーズの血でも入っているのかというほどの短さだった。
親父による毎晩の念入りなブラッシングの効果か、被毛は艶々しており、その毛量も然ることながら一本一本が長い。
真熊も若い頃はボリューミーだったが、志熊は比にならないほどのモフモフ具合だった。
俺も、親父の家に行く最大の楽しみは志熊に会えること。
志熊と戯れるたびに、「親父に渡さないで自分で育てれば良かった」と思ってしまうほど可愛い。
天然猫の寿喜とも仲が良かったり、真熊以外の犬への免疫が一切ないツンデレ三毛猫の稚葉ですらもなぜか志熊は大丈夫という、周囲を朗らかな気持ちにさせてしまう不思議な魅力も。
カメラを向ければ、起きているときはフルタイムで笑顔。
友達の影響で田舎暮らしに憧れたオカンに付き合う形で、縁もゆかりもない外房の片田舎に引っ越すことになった、東京は品川生まれで目黒育ちの親父。
そんなオカンが急逝したことで、自らは望んでもいなかったこの土地に一人で暮らす羽目に。
さらに今度は、この土地で毎日一緒にウォーキングをしていた同年代の友人までが熱中症で急死してしまい、当時の親父は完全に後ろ向きな気持ちになっていた。
そこへやって来た志熊は ───
とんでもない速度で親父の心を癒し、表情にも明るさを取り戻してくれた。
あえて比べる必要などないのだが、俺にはオカンと暮らしていた頃の親父よりも、志熊と2人で生きていた11年間のほうがはるかに活き活きとして幸せそうに見えてしまっていた。
いや、俺だけでなくお隣さんも同じことを言っていた。
それほど親父と志熊が作り出す空気感は、周りから見ても幸せがぎゅうぎゅうに詰まっているように感じられたのだろう。
その日々が、あの日に突然“強制終了”となってしまった親父の今のメンタルは想像に難くないし、俺も大好きだった志熊が突然逝ってしまったことは悲しい。
だが、それでも俺は志熊に、11年間にわたり親父にたくさんの幸せをくれたことを心から感謝し、お礼を言いたい。
本当にありがとう、志熊よ・・・・
11年間だけど親父にたくさんの幸せをくれた志熊にクリックを
コメント
ほんとうに可愛い可愛いしぐまくんです。
いつも笑顔で、まぐちゃんやことちゃんが相手にしてくれなくても笑顔☺️
天真爛漫を絵に書いたようなしぐまくんですね。
それと毛量が半端ない!
じぃじとの関係も素敵で…
あまりにも突然であまりにも早い一生でした。
でも間違いなく幸せでしたね!
じぃじと過ごせて本当に良かったと思います。
志熊君はいつも笑顔で穏やで、お父様はお母様亡き後にとても癒されていた事と思います。ことちゃんが大好き過ぎるのも微笑ましく拝見させてもらってました。まさかの急逝に涙が止まりませんでした。そしてことちゃんが亡くなった日は姉の命日と同じ日でした。
生き物はいつか亡くなるとは分かっていても悲しいものですよね。沢山の癒やしをありがとう!
お父様の愛情をいっぱい受けた11年の生涯は志熊くんにとってすごく濃い幸せな日々だった様子が伝わってきました
いつも笑顔で温厚で誰とでも仲良しだった志熊くん忘れないよ(╹◡╹)
お父様その後は大丈夫でしょうか…
>親父と志熊が作り出す空気感は、周りから見ても幸せがぎゅうぎゅうに詰まっているように感じられたのだろう。
私もそう感じました。
志熊君を猫っ可愛がりするお父様を見るのが大好きです。
一度だけ直接お父様と志熊君のことで会話したことがあるのですが、
その時も嬉しそうに教えてくれましたよ。
本当に志熊君は周りに幸せを振りまく子でしたよね。
今もきっと天真爛漫な笑顔でみんなと仲良くしているでしょうね。