木曜日の朝に、こんにちわ。
“日本の宝” 深田恭子が・・・・ 奇跡のアラフォーと呼ばれる美貌をもつ深田恭子が・・・・
ゆっくり休んで良くなってほしいですね。局長です。
─── もうじき三ヶ月が経とうとしている、去る2月3日(水)。
いよいよ重い腰を上げて、“にいぼん”こと石像猫にいなの「最期」の様子を綴ろうと思うのだが、これまで綴ってきた2月2日(火)までのレポートが、投稿の間隔が長く空いたり、順番が一部前後したりだったので、きっと一連の流れが頭の中で上手くつながっていない人も多かろうと思う。
そこで本日は、にいぼんが病に伏した1月18日(月)から、最期を迎える前夜2月2日(火)までの「時系列」を分かりやすく整理してみる。
その上で、明日以降の「にいぼんの最期」を読み進めていただければと思う。
突然やって来た異常
- 1月18日(月)俺と共に寝室でお昼寝をすると、夜になっても起きてこなかった
午前中までは至っていつもどおり。
お昼寝に付き合わせるだけのつもりだったが、異変のトリガーに。 - 1月19日(火)朝から寝室のベッドで眠りつづけ、朝晩とも何も口にせず
夜にリビングに連れて降りるも、いつの間にか再び自ら寝室へ。
薬だけはかろうじてベッドの上で飲んでくれた。 - 1月20日(水)朝から寝室のベッドで眠りつづけ、朝晩とも何も口にせず
夜にリビングに連れて降りると、洗面台に飛び乗り水を飲み、食卓のイスに飛び乗って眠ったりと、ジャンプするだけの元気は見せてくれたが、再び自ら寝室へ。
- 1月21日(木)朝ごはんを1/4ほどの量だけ食べ、再び寝室のベッドで眠りつづける
夜にリビングに連れて降りると、前夜と同じように食卓のイスにジャンプするも、失敗して落下。
通院から闘病生活のスタート
- 1月22日(金)動物病院への駆け込み ⇒ 闘病生活のスタート
まったく回復の兆しが見えないことから、三日間のロスを心の底から後悔しながら、かかりつけの病院へ。
「腎性貧血」の診断を受ける。 - 1月23日(土)フラフラして満足に歩けない状況に
立とうとするとフラフラしてしまい、トイレまでの移動ができず粗相。
食欲もなく、ペースト状の総合栄養食を2~3口しか食べらなかった。 - 1月24日(日)体重が1kg減、症状も一気に悪化
22日(金)以来の通院日で、貧血予防の赤血球造血因子の注射を。
トイレまで歩けず粗相がつづくようになってしまったため、猫用のマナーウェアを着用することに。
転院、リンパ種(癌)が判明
- 1月25日(月)
- 1月26日(火)緊急輸血、そして脾臓の出来物がリンパ腫(癌)と判明
血液検査をするも貧血の状態が異常ということで、その場で日帰り入院での緊急輸血を行うことに。
夕方には、前日に見付かった脾臓にある出来物が「リンパ腫」、つまり癌と判明。
癌の詳細が分からないため、副作用の少ない抗がん剤を投与。
帰宅後はフラつきながらも、トイレまで歩いて“アピールちっち”を。
“夫婦猫”最後の抱擁と、闘病期間中の最好調
- 1月27日(水)二日連続の輸血により復調の兆し?
前日にも輸血をしたものの依然として貧血状態が激しいため、日帰り入院による二日連続の輸血を行う。
輸血の効果か、帰宅後は食欲が出たらしく総合栄養食を自らお皿から食す。
さらにはトイレまで歩き“アピールちっち”も。 - 1月28日(木)稚葉との最後の抱擁、闘病開始以来の最好調
にいぼんの不調を感じ取って一定の距離を取りながら見守っていた稚葉だが、ついに我慢ができなくなったのか、にいぼんの元へ飛び込んでいった。
稚葉が元気をくれたのか、その後は食欲がわいたようで総合栄養食を食べ、水も大量に飲む。
トイレまで歩き“アピールちっち”と、病に伏してから初めてとなるウンコも。
さらには、石油ファンヒーターの上に乗ることまで。
夕方の通院から帰宅後は、この日二度目の“アピールちっち”。
恐らく、この日が闘病期間中の最好調だった。
一進一退の攻防、調子の乱高下がつづく
- 1月29日(金)前日の好調から打って変わって絶不調に
朝から何も食べないため、やむを得ず「腎臓サポート」の液体リキッドタイプをシリンジで与える。
さらには、水を飲みながら粗相。
また、癌の痛みが強くなり始めたのか、落ち着きなく動き回るように。
この日から急激に弱り始めたので、夜はリビングで一緒に寝ることに。 - 1月30日(土)癌の詳細検査の結果が出る
前日の粗相からニオイがキツくなってしまったので、「水を使わないシャンプー」で洗う。
外部機関によるリンパ腫(癌)の詳細検査の結果が出て、『顆粒リンパ球由来のリンパ腫』と診断される。
翌日の血液検査後に、癌をピンポイントで攻撃できる抗がん剤を投与することに。
病名が分かったことで食欲もわいたのか、総合栄養食を少しだけ食べる。
勝負の三日間
- 1月31日(日)三日間だけステロイド剤を強めて投与する『勝負の三日間』
改善しない貧血と、新たに発症した黄疸により「この状況下で使える抗がん剤がない」との診断となり、三日間だけ限定でステロイド剤を強めて投与し、状況の打開を図る『勝負の三日間』を実施することに。
病院からの帰宅後、少し眠ってから目を覚ますと、まさかの寿喜のカリカリフードを奪って食べ始めた。
病に伏してから初めてのドライフードだ。
さらには、総合栄養食もガツガツと食べる。
まるで「死ぬ気なんてさらさらない」という、生きる強い意思を見せているかのようだった。 - 2月1日(月)「勝負の三日間」の二日目
前日と打って変わって絶不調となり、朝から何も食べず。
それどころか水さえも上手く飲めないため、シリンジで飲ませることに。 - 2月2日(火)「勝負の三日間」の最終日
朝から絶不調で何も食べてくれないので、「腎臓サポート」の液体リキッドタイプをシリンジで与える。
貧血も黄疸も、改善の兆候は見られず。病院からの帰宅後も、総合栄養食をほんの少しか食べられず。
癌の痛みから、かまくら型ベッド間を激しく動き回るように。
さらには意識の混濁も見られる。
こうして、にいぼんの最後の夜は終わり、運命の2月3日(水)を迎えるのであった。
結局は病に伏してからというもの、復調することは一度もなく、多少のアップダウンこそあったものの一気に症状が悪化していってしまった・・・・
時系列で見るにいぼんが病に伏してから最期の日を迎えるまでの日々に
コメント
こうしてみると、にいなちゃんの発病以来の
一日一日の重みが良く分かります。
きっと体調はずっと辛かったでしょうが、
その中でも数日の穏やかなときを過ごせて、
にいなちゃんも頑張れましたね。
お疲れさまでした、にいなちゃん。
突然悪くなり、あっという間にすすんでしまったのが良く分かります。
悪くなりながらも、ご飯を食べられたりわかばちゃんと一緒に居る時間があったりほっとする時もありました。
明日以降のにいぼんの最期…
苦しいですね。
わかばちゃんがにいなちゃんに寄り添ってる写真、見る度に胸がしめつけられます。わかばちゃんは、にいなちゃんに、今まで守ってくれてありがとう。今度は私に寄りかかってね。って言ってるように見えました(涙) にいなちゃん、にいなちゃんは家族に時間をくれる為に精一杯頑張ってくれたんだね。もしもあなたが人間だったら、生粋の日本人気質な人なんだろなー。にいなちゃんの優しさ、男らしさ、ずーっと忘れないよ。自分が弱気になった時は強くカッコいいにいなちゃんを思いだすね。ありがとう♥️ 沢山沢山局長さんに愛情もらって抱っこもいっぱいしてもらって、苦しいながらも幸せな気持ちもいっぱいだったね。
こうして時系列で見てみると怒涛の2週間だったし、にいぼんの体調変化は急降下だったんだと分かります。
この2週間はにいぼんも、局長一家みんなが闘った日々でしたね。
にいぼんは苦しい時もあったけれど、家族で過ごせる幸せや居心地の良さも感じていたと思います。
明日以降のにいぼんの最期…
読めるか不安ですが、局長さんが綴るにいぼんの様子と、局長さんの想いを受け止めたいと思います。
こうして書き出してみるとあっという間に感じますが
局長さん達にとっては長い2週間だったでしょうね。
病は一気に進んだように感じましたが、それでもご飯をもりもり食べたり
わかばちゃんと寄り添ったりする時間も持てたこと。
そしてなによりも、大好きなお父さんからの特別扱いは
にいな君にとって幸せな日々だったのではないかなと思います。
いよいよ最後の日を綴るんですね。
覚悟して読ませていただきます。
にいな君、今読み返しただけでも、、、涙が出てきます。
良く頑張ったな…にいな君は漢だったな…サムライにゃんこや❕❕